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作者紹介

記事ID:0109377 更新日:2024年2月9日更新 印刷ページ表示

臼井吉見 〜筑摩書房草創期を支えた名編集者〜

 長野県南安曇郡三田村(現・安曇野市堀金)出身。

 旧制松本中学校(現・長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校(現・信州大学)を経て東京帝国大学国文科(現・東京大学)を卒業。

 県内外で教鞭をとる傍ら、親友・古田晁の興した筑摩書房の経営を助けました。

 1946(昭和21)年、筑摩書房「展望」の初代編集長に就任し、多くの作家や評論家を世に出す一方、自らも近代文学を中心に個性的な文芸評論を発表。

 1974(昭和49)年、10年の歳月をかけて完結させた『安曇野』全5部作により、第10回谷崎潤一郎賞を受賞しました。

臼井吉見

 

略歴

略歴
できごと

1905年

南安曇郡三田村(現・安曇野市堀金)の臼井貞吉の二男として生れる。

 

東京女子大・東京高等学校で教鞭をとる傍ら親友、古田晁の興した筑摩書房の経営を助ける。

1943年

陸軍少尉として応召し、九十九里浜の伐木隊長として終戦を迎える。

1946年

「展望」の初代編集長として、多くの作家や評論家を世に出す一方、近代文学を中心に個性的な文芸評論を発表する。

1953年

郷里の堀金中学校の校歌を作詞し、芥川也寸志の作曲により、今日に歌い継がれている。

 

「現代日本文学全集」・「日本短編文学全集」・「明治文学全集」などの企画編集に、敏腕ぶりを発揮する。

1956年

現代日本の主要な文学論争を批判した「近代文学論争」により、芸術選奨文部大臣賞とNHK放送文化賞を受賞する。

 

「人間と文学」・「大正文学史」などの作家論文学史論を発表する。

1974年

10年の歳月をかけて完成した『安曇野』全5部作により、第10回谷崎潤一郎賞を受ける。

1975年

芸術院会員に推される。

1977年

川端康成の自殺を扱った「事故のてんまつ」を発表、続いて明治維新の青年群像を描く大作「獅子座」の執筆に取り組む。

1987年

病気のため82歳で亡くなる。

1991年

堀金上堀に臼井吉見文学館が開館する。

 

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