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「あづみの」という名前がこのあたりで使われるようになったのは?

記事ID:0002424 印刷用ページを表示する 掲載日:2021年4月15日更新

安曇野(あずみの)には、今から1400から1300年くらい前につくられた数多くの古墳(こふん)や、長野県で一番古いとされるお寺の遺跡(いせき)があります。このことから、当時(とうじ)、新しい文化を進んで取り入れようとする人びとが安曇野に暮(く)らしていたことがわかります。

「安曇(あづみ)」という地名が初めて登場(とうじょう)するのは、今から1300年ほど前の奈良時代(ならじだい)の地理(ちり)や歴史(れきし)の様子(ようす)を書いた『和妙類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』という本です。そこには、信濃国(しなののくに)は10の郡(ぐん)がおかれ、そのひとつが安曇郡で、その中には4つの郷(ごう・ムラ)があったと書かれています。

また、奈良(なら)の正倉院(しょうそういん)には、信濃国安曇郡の前科郷(さきしなのごう)というムラから、おさめられた袴(はかま)が今も大切(たいせつ)に保存(ほぞん)されています。

同じように「あづみ」を語源(ごげん)とする地名は全国各地(ぜんこくかくち)にあります。

「あづみ」の語源は、古代(こだい)北九州(きたきゅうしゅう)地方を中心に、航海(こうかい)を得意(とくい)とし、中国(ちゅうごく)や朝鮮(ちょうせん)と貿易(ぼうえき)(海外の国と物を売り買いすること)を行っていた海の民の「あづみ氏」に由来(ゆらい)し、その後、全国各地へちらばって移(うつ)り住んだと考える人もいます。
ちなみに、都で活躍(かつやく)していた「あづみ氏」は、奈良時代、天皇(てんのう)の食事を担当(たんとう)する重要な係についていたこともありました。

船の形をした山車(写真上:明科・潮神明宮の柴舟/下:三郷・熊野神社のお船)

安曇野には、穂高神社(ほたかじんじゃ)、三郷中萱(みさとなかがや)の熊野神社(くまのじんじゃ)や、明科(あかしな)の潮神明宮(うしおしんめいぐう)などの地区で「おふね祭り」と呼ばれるお祭りが行われています。
この祭りには、大きな船の形をした山車(だし)が登場します。海のない、安曇野のお祭りに、どうしてお船が登場(とうじょう)するのか、これこそが「あづみ氏」が海から移り住んだ証拠(しょうこ)だという人もいます。

しかし、安曇野市以外にも、このような船の形をした山車をひくお祭りがいくつもあります。これらの山車は、地域(ちいき)の人々の幸せを願い、おむかえした神様をのせて、地区のなかを回るための乗り物ではないかとも考えられています。

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