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“あづみの”という名前はいつきまったの?

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

あづみのには、たくさんの古墳(こふん)や古いお寺の遺跡(いせき)があることから、有力な人びとが住んでいたことはまちがいなさそうです。
 

安曇族は安曇野の名前のもと?

「安曇野(あづみの)」という名前は、古墳(こふん)時代の終わりころにこの地にやってきた「安曇族(あづみぞく)」に由来(ゆらい)するのではないかと言われています。

あづみ族は、海をわたって中国や朝鮮(ちょうせん)と貿易(ぼうえき:海外の国と物を売り買いすること)をするなど、海に生きた人びとでした。いまの九州(きゅうしゅう)福岡(ふくおか)県にある、志賀島(しかのしま)からやってきたという考えが有力です。

船の形をした山車(写真上:明科・潮神明宮の柴舟/下:三郷・熊野神社のお船)

あづみのには、穂高(ほたか)神社や、みさと中萱(なかがや)の熊野(くまの)神社など、いくつもの地区で“お船祭り”とよばれるお祭りが行われています。この祭りには、大きな船の形をした山車(だし)が登場します。海がないあづみののお祭りに、どうして船が出てくるのか、なんともふしぎな話です。これも、海からやってきた、あづみ族のなごりでしょうか。

では、地名として“安曇(あづみ)”という名が使われはじめたのは、いつごろからでしょう。信濃国(しなののくに:いまの長野県)にその名がはじめて記ろくに出てくるのは、奈良(なら)時代です。この時代、正倉院(しょうそういん)におさめられた袴(はかま)に、「信濃国安曇郡前科郷・・・」と書かれたものがあります。

このことから、奈良時代にはすでに「安曇」という地名が使われていたと考えられます。あづみの市ができる1000年以上から “安曇”という地名があったとはおどろきです。