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ニジマス養殖

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

ニジマス


おじいちゃんが子どものころ
海からこんなに遠い安曇野まで
大量のサケが上って来たって本当?

海から約280キロ離れた安曇野でサケが捕れていた!

 安曇野で生まれ育った80歳以上の人なら、子どものころに、海の魚であるサケを犀川やその支流で捕まえていたことを覚えているに違いありません。昭和15年ごろまで安曇野一帯の川では、産卵のために日本海から遡上(そじょう)してきた大量のサケやマスを捕まえることができたのです。
 日本一長い「信濃川」(長野県では千曲川と呼ばれる)を、新潟市の河口から、産卵のためにひたすら力強く上ってくるサケ。今の安曇野インター付近「田沢橋」で海から285キロメートルですから、車もない時代に海からはるか遠くの安曇野まで、自力で泳いでくるサケがたくさん捕れたなんて、信じられない話ですね。
 犀川水系でのサケ漁の歴史は古く、1000年以上前に伊勢神宮へサケを献上したという記録が残されています。犀川ではサケ・マスといった海と川を巡る回遊魚だけでなく、川マスやイワナ、ウグイ、コイ、ウナギ、アユ、エビなど、驚くほどたくさんの種類の魚が安曇野の川によって育まれ、人々の暮らしを潤していました。

サケ1匹の値段は、大人の給料2日分以上!

南安曇野郡漁戸数

 江戸時代には、松本藩より漁業を営む権利が地元優先に与えられ、藩は村別にサケ1匹、漁業の道具1つにまで年貢の値段を決めて納めさせていました。犀川はもちろん奈良井川、万水川(よろずがわ)、穂高川などを中心に、旧明科町、旧豊科町、旧梓川村、松本市あたりまで広くサケ・マス漁が行われていた記録も残っています。
 明治8年、政府はすべての漁場を国のものと定め、鑑札を受ければだれでも魚を捕れるようにしたため、漁業で生計をたてる人が急増しました。明治30年には旧南安曇郡だけで「漁猟を営む者85戸」の記録がありますが、農業との兼業者も含めればもっと多かったと考えられます。
 『犀川鮭繁盛記』などの文献によると、昭和10年ごろ男性1日の給料が50銭。サケ1匹の値段はその2倍の1円から1円20銭ですから、1匹捕れれば給料2日分以上の収入です。秋の産卵期になると10月はマス、11月にはサケが大量に揚がっていたのです。
 昭和10年ごろには、安曇野市明科地域だけでも、1年間の漁獲高が3千数百円あったと記録されています(『犀川鮭繁盛記』より)。

ダムの建設により、昭和15年ごろ消えたサケの姿

 ところが、明治30年代ごろから「信濃川」にも水力発電所が誕生してきます。そして大正8年以降になると、産業界の急成長や私たちが使う電力の増加にともなって、さらに大きなダムの建設が進められました。
 次々と建設されるダムで川がせき止められると、魚たちのすむ領域はどんどん狭められていきます。“海からの贈り物”ともいえる遡上する魚たちは道を断たれ、見物客が訪れるほど賑やかだったサケ・マス漁は激減。昭和の初めごろから目に見えて数が減り、15年ごろにはとうとう途絶えてしまったのです。
 ダムの影響を受けた魚はほかにもあります。川(淡水)で生まれた後すぐに海に下り、再び川に戻って成長するアユや、海で生まれて川(淡水)で成長して産卵のために海に戻るウナギなど、天然に遡上する野生種は徐々に姿を消したのです。
 今、犀川でアユなどを見ることができるのは、漁業組合の放流によって河川で生息しているためです。

ニジマス養殖日本一へ、いざ研究スタート

大正時代に「明科養鱒場」が設立された(後の「長野県水産試験場」)
大正時代に「明科養鱒場」が設立された(後の「長野県水産試験場」)

 最近登場した「信州サーモン」は、美しくておいしいと注目を集め、生産が追いつかないほど話題を集めていますね。ニジマスとブラウントラウトを親に持ち、10年がかりの研究を尽くして誕生した安曇野の新ブランド魚です。
 いったい安曇野が全国トップクラスのニジマス生産地として知られるようになったのは、いつごろからなのでしょうか?
 実は、犀川水系を賑わしていた天然魚が少なくなっていく一方、何とか暮らしが豊かになる産業がないものかと、人々は考えていました。安曇野では冷水魚のニジマスに最適な水温5℃から10℃の水が、こんこんと湧き出ていています。この自然の恵みを生かし、魚の養殖で安曇野に活力を呼ぼうと真剣に考えていた人々がいたのです。
 大正時代、大洪水でも犀川が暴れないように整える護岸工事で、驚くほど多くのきれいな湧き水が発見されました。若者に向けて「無から有を生み出す気概をもたなければならない」と常に説いていた倉科多策という人物は、私財を提供し、村長の竹田信平とともに「明科養鱒場」を設立。長野県に貸し出しました。のちの「長野県水産試験場」で、魚の養殖や研究・指導を行う拠点ができたのです。

伊勢神宮へ黄色いニジマス1,300匹献上

 昭和に入り、病気に強くよりおいしい魚の改良・育成と、ニジマスの研究と養殖が進められ、昭和43年には全国の70%を占める卵を全国23の都道府県に出荷し、今も信頼のおける品質を保っています。
 昭和37年、旧明科町にあった「県水産指導所」(現在の長野県水産試験場)で育った黄色いニジマスが、伊勢神宮に献上されることになります。しかもその数1,300匹。ピカピカに光るニジマスが、日本を代表する神宮内を流れる川に放流されました。
 昭和38年には、県水産指導所が養殖ニジマスの冷凍技術と輸出を普及させ、最新技術の冷凍加工工場を造り、生産を始めました。これにより輸出はどんどん増加し、生産量のほぼ8割が輸出されるようになりました。この安曇野市は、日本のニジマス養殖発祥の地とも言われています。

左:伊勢神宮の五十鈴川で放魚式  右:冷凍加工場内の輸出用ニジマスの加工風景 
左:伊勢神宮の五十鈴川で放魚式  右:冷凍加工場内の輸出用ニジマスの加工風景 

美味しくて人気上昇中の「信州サーモン」

 安曇野を訪れる人たちの中で話題を集めている食材の一つが「信州サーモン」です。安曇野の清らかな冷水で育った身はきめ細かく締まっていて、鮮やかなオレンジ色は食欲をそそり、噛みしめるほどに広がる旨みがあると評判です。
 育てやすく肉質の良いニジマスと、ウイルス性の病気に強いブラウントラウトを親にもつ「信州サーモン」。安曇野の長野県水産試験場が、難しいこの掛け合わせに10年の歳月を費やして研究を重ねてきました。ようやく誕生した理想的な養殖魚は、稚魚から約2年で全長50から60センチメートルになり、体重1.5キログラムから2キログラムに成長します。
 安曇野を中心に県内各地の食事処や宿泊施設などで利用され、どんぶりや弁当などメニューも続々増えてきました。味の良さから人気は徐々に高まり、食材としての魅力も高く、生育良く病気に強いなど海外の生産者からも注目されています。