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高橋節郎年譜1

記事ID:0001946 更新日:2015年10月29日更新 印刷ページ表示
年代 年齢 出来事
1914年(大正3) 0歳 9月14日、父太一・母梅見の三男として長野県南安曇郡北穂高村(現安曇野市)に生まれる。
1921年(大正10) 7歳 北穂高村尋常小学校に入学。
1923年(大正12) 9歳 長野師範学校附属小学校に転校。ホープラージ牧師館に居住。
1924年(大正13) 10歳 松本尋常高等小学校旭町部に転校。
1927年(昭和2) 13歳 松本尋常高等小学校旭町部卒業、松本中学校(現松本深志高校)に入学。
松本中学時代   美術教師、宮坂勝と出会う。おおらかで温かい人柄と教育方針に、描くことの喜びを覚える。
陸上競技部「天馬会」では競技に熱中、インターミドルにも出場した。また、父の近衛連隊時代の友人、結城素明の写生旅行(中房温泉)にも同行し、絶えずスケッチする姿に影響を受ける。
1932年(昭和7) 18歳 松本中学校を卒業。
1933年(昭和8) 19歳 東京美術学校(現東京芸術大学)に入学。  
美術学校時代   二科会研究所に通い、熊谷守一、有馬生馬、石井伯亭等に、デッサンや油絵を学ぶ。また、古賀春江のシュールレアリスムの作品に大きな影響を受け、古賀氏宅を訪ねたりもした。美校「上野の杜ラグビー部」では、スリーコーターウイングとして活躍。
1938年(昭和13)、東京美術学校工芸科漆工部を卒業、卒業制作に衣装箱を提出。銀時計を受ける
同校研究科に進む。
同年4月、金子徳次郎、黒瀬英雄、小杉二郎と「型會」を結成、銀座資生堂ギャラリーで「型會第一回発表」展開催。
また同年11月、草月流勅使河原蒼風家元と監事諸氏のいけばなによる、「高橋節郎創作漆芸花器第一回発表展」開催。
1939年(昭和14)には、第4回実在工芸美術展で実在工芸奨励賞を受賞。
1940年(昭和15) 26歳

東京美術学校研究科を修了。
紀元二六○○年奉祝展に《ひなげしの図小屏風》(漆屏風)を出品、初入選。

作品「ひなげしの図小屏風」画像「ひなげしの図小屏風」

1941年(昭和16) 27歳 第4回新文展に《木瓜の図二曲屏風》(漆屏風)を出品、特選・政府買上げ。
1942年(昭和17) 28歳

第5回新文展に《漆朝夕衝立》(漆衝立)を出品、入選。

作品「漆朝夕衝立」の画像「漆朝夕衝立」

1943年(昭和18) 29歳 第6回新文展に《秋の色種漆棚》(漆棚)を出品、入選。
1944年(昭和19) 30歳 戦時特別展に《紅梅白梅漆手筥》(漆手筥)を出品、入選。
1946年(昭和21) 32歳 戦後、第1回日展に《菊籬蒔絵文庫》(漆文庫)を出品、入選。
第2回日展に《竹林蒔絵手筥》(漆手筥)を出品、入選。
1947年(昭和22) 33歳 第3回日展に《花の手筥》(漆手筥)を出品、入選。
1949年(昭和24) 35歳 第5回日展に《花の星座壁面装飾》(漆パネル)を出品、入選。
株式会社マルニ工芸漆器製作所にて、輸出向けおよび駐留軍向けの金胎漆器のデザインを担当。
1951年(昭和26) 37歳 第7回日展に《星座》(漆パネル)を出品、特選、朝倉賞を受賞。
1952年(昭和27) 38歳 染川鉄之助、佐治賢使、蓮田修吾郎等と「創作工芸協会」を設立、同人になる。
資生堂ギャラリーで第1回創作工芸展を開催、《盛器》(盛器)《花器A》《花器B》《花器C》《花器D》《花器E》(花器)を出品
(第2回展より銀座和光で開催)。
第8回日展に漆パネル《街と花火》を無鑑査出品。
株式会社日本ドラム缶製作所デザイン部にて、ラッキープレートなどクラフト作品のヒット商品を生む。
1953年(昭和28) 39歳 第9回日展に《森》(漆屏風)を出品、審査員。
1954年(昭和29) 40歳 第10回日展に《踊り》(漆額)を出品。
「高橋節郎漆絵展」開催(松本開運堂画廊)。
1955年(昭和30) 41歳

第1回個展開催(日本橋三越)。
第11回日展に《都会の歌》(漆屏風)を出品。

作品「都会の歌」の画像「都会の歌」

1956年(昭和31) 42歳 日ソ招待展に《竹林蒔絵手筥》(漆手筥)を出品、ソビエト政府買上げ。
第12回日展に《都会にだってみのりはある》(漆屏風)を出品、川合玉堂資金により買上げ。
1957年(昭和32) 43歳 第2回個展開催(日本橋三越)。
第13回日展に《遙かなる郷愁》(漆パネル)を出品。
1958年(昭和33) 44歳 社団法人日展評議員になる。
第1回新日展に《作品58》(漆サイドボード)を出品、審査員
1959年(昭和34) 45歳 第2回新日展に《杉の木の寓話》(漆屏風)を出品。
「第2回高橋節郎スグラフィード漆絵展」開催(日本橋三越)。
1960年(昭和35) 46歳 第3回新日展に《蜃気楼》(漆屏風)を出品、文部大臣賞を受賞。
「創作工芸協会」から発展した工芸「円心」を蓮田修吾郎、帖佐美行、佐治賢使、辻光典、佐野猛夫、清水九兵衛らと設立、同人になり、第1回展開催(日本橋高島屋)。
1961年(昭和36) 47歳 第4回新日展に《蜃気楼「空中都市」》(漆屏風)を出品、審査員。
「円心」第2回展開催。
社団法人現代工芸美術家協会を結成。
1962年(昭和37) 48歳 「高橋節郎展」開催(日本橋画廊・東京)。漆の特質を生かした独創の漆絵版画(モノタイプ)、《断層》(A、B、C、D)、《流雲》(A、B、C)、《層土》(A、B、C、D)、《断雲》(A、B、C、D)、《層雲》(A、B、C、D)、《断壁》(A、B)を出品。
第5回新日展に《断層》(漆屏風)を出品。
第1回日本現代工芸美術展に《幻》(漆パネル)を出品。
「円心」第3回展開催、《静物》(漆パネル)を出品。
第1回和光展を開催。
1963年(昭和38) 49歳

第6回新日展に《化石》(漆パネル)を出品、審査員。
第2回日本現代工芸美術展に《跡》(漆パネル)を出品。
第12回五都展に漆絵《静物》を出品。
「円心」第4回展に漆絵版画《触》(A、B、C)を出品。
第2回和光展に《街の見える静物》(漆パネル)《花の街》(漆パネル)を出品。

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