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安曇野に暮らして見えたもの

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

人物写真

有限会社ライフポート安曇野 代表取締役
NPO安曇野ふるさとづくり応援団 事務局長
安曇野市移住定住促進会議委員
宮崎 崇徳

安曇野との出会い

風景の写真

 日本のふるさとの原風景とも言える安曇野。安曇野との出会いは大学1年の時、先輩に誘われて安曇野のユースホステルを手伝うようになったのがきっかけです。旅が好きで全国各地で美しい風景を目にしていましたが、初めて降り立った穂高駅のホームから見た雄大な北アルプスと美しい田園風景は、それまでに味わったことのない新鮮な感動でした。以来、長期休暇の度に安曇野を訪れ、ユースホステル手伝いをしながら2から3週間ほど滞在するようになりました。今あらためて考えると、この時の体験がその後の人生の大きなターニングポイントになったと感じています。

 大学卒業後は東京の不動産会社へ就職しましたが、数年後に日本経済のバブルが崩壊。バブルに翻弄される都会暮らしに居心地の悪さを感じ、1995年に勤務先の希望退職に応じて松本の住宅メーカーへ転職し、信州へ移住することを決断しました。翌年の1996年に結婚、1997年にマイホームを建て、大学時代に夢見た念願の安曇野暮らしがスタートしました。2002年の妻の育児休暇終了に合わせて住宅メーカーを退職し、自宅を事務所に不動産コンサルティング事務所を開業。地域と移住者の橋渡しをする安曇野のまちとくらしのコンサルティングとして、いつの間にか10年の月日が流れました。

 この10年間で多くの移住者のお手伝いをしてきましたが、移住者が求めているのは一言で言うと「田舎“的”暮らし」。農村での自給自足のような「本格的田舎暮らし」ではなく、都会的な利便性を享受しつつ豊かな自然の中で暮らす「田舎“的”暮らし」です。「週末には友人を招いて、アルプスを望む庭のテラスでバーベキュー」「食卓には地元のワインや手作りパン、家庭菜園で採れた野菜が並ぶ・・・」、一言で表すとそんなイメージでしょうか。

 「田舎“的”暮らし」には景観の美しさと共に交通や生活の利便性が欠かせません。また、雪や災害が少なく移住者が多い地域が好まれます。安曇野はこれらの条件を満たしているため、旧穂高町を中心に20年以上も前から多くの都会人の憧れの場所なのです。そして首都圏だけでなく関西圏や中京圏からの移住者の割合が多いこと、50代後半のリタイア層だけでなく30代前半のヤングファミリーが多いことも、他の地域とは異なる安曇野の特徴です。

“見えないモノ”の大切さ

 移住者が求める「田舎“的”暮らし」は、観光客が旅先に求めるイメージに近いかもしれません。それは北アルプスの景観や田園風景、建物の新しさといった「見えるモノ」だけで判断しようとし、暮らしやコミュニティといった「見えないモノ」に意識が及ばないのです。移住とは暮らすことであり、旅先を選ぶように「いいとこどり」はできません。安曇野の景観の美しさは北アルプスそのものではなく、田園風景との調和による美しさです。そして田園風景を構成する田んぼも堰も屋敷林も、先人達が地域コミュニティの中で守り育ててきたものなのです。「見えるモノ」として捉えている景観も、「見えないモノ」の理解なしに語ることはできません。

 人口約10万の安曇野は一見都市的なイメージもありますが、実際は旧村を単位とする83の「区」の集合体です。安曇野の「区」は東京23区のような行政組織ではなく、地域コミュニティを形成する任意の自治組織。自治活動や近所づきあいが煩わしいという移住者もいますが、集落が分散している安曇野では防犯や防災といった暮らしのインフラとして、地域コミュニティが今でも重要な役割を担っています。

 私も小学生の娘を持つ父親ですが、安曇野の子ども達は知らない大人とすれ違っても挨拶します。また、横断歩道で停まってくれた車には、渡った後にお辞儀をして礼を言います。そして大人もPTAや老人会が主体となって登下校時にパトロールし、常に子ども達を見守っているのです。都会では失われつつある「地域の子ども」という意識が、安曇野では今も残っているのです。移住者の中には区への加入を拒む人もいますが、地域コミュニティが美しい景観や豊かな暮らしを守ってきたことに気がついていないのでしょう。安曇野の美しい景観と豊かな暮らしを享受するには、移住者も地域コミュニティの一員として、一定の責任を果たす義務があるのです。

 地域コミュニティの強さは、景観の良さに比例し、土地の価格に反比例しています。山麓の別荘地を除けば、移住者の志向と地域コミュニティの強さはほぼ等しく、地域コミュニティの理解なしに安曇野への移住は考えられません。私自身も旅人に過ぎなかった学生時代には、このことを十分に理解していませんでした。安曇野に実際に暮らし、地域の人々との交流によって初めて理解できるようになったのです。「見えないモノ」をいかに見て理解するか、そこに安曇野暮らしの本質が隠れているのだと思います。

新たなふるさとづくりへの取り組み

 周辺の5町村が合併して安曇野市が誕生したのは2005年10月。当時旧穂高町内では合併に賛否両論があり、私も個人的には必ずしも賛成という訳ではありませんでした。しかし、合併決定後は市民主役の協働まちづくりを進めるチャンスだと考え直し、市の公募委員として環境基本計画や景観計画の策定に関わりました。いくら美辞麗句を並べて計画を作っても、実行しなければ絵に描いた餅に過ぎません。自らも市民として計画を実行したいと思っていた時、知人から誘いを受けて、2006年6月のNPO法人信州ふるさとづくり応援団の設立に関わりました。NPOの活動目的は「移住者と地域住民との交流による新しいふるさとづくり」。現在安曇野支部には25名の会員がいますが、内10名が県外からの移住者です。移住者だけで活動する団体はいくつかありますが、移住者と地域住民が一体となって活動している例はほとんどありません。多くの移住者が暮らしている安曇野でも、地域住民と移住者の交流は大きな課題でもあるのです。

 今年で7年目を迎える安曇野支部の主な活動は、移住支援、協働まちづくり、地域再発見の3つです。移住支援の柱は東京と大阪のふるさと回帰支援センターで開催している「安曇野田舎暮らしセミナー」。行政主催のセミナーにありがちな観光的なPrではなく、安曇野暮らしに欠かせない「見えないモノ」の大切さを伝えることに重点をおいているセミナーです。市の関連部署とも連携して東京で4回、大阪で1回開催しましたが、セミナー後の個別相談に多くの参加者が残るのが他の地域とは異なる大きな特徴です。

 協働まちづくりの柱は市の安曇野ブランド推進室が立ち上げた屋敷林と歴史的まちなみプロジェクト、三角島ふるさとの森プロジェクト、安曇野百選プロジェクトへの参加協力。安曇野の貴重な財産である屋敷林や三角島の保全、ビューポイントの募集、子どもを対象とした自然体験会やウォークラリーの開催等、景観に関わる多くの活動に携わっています。

 地域再発見の柱は6年間で15回開催した「ふるさとウォッチング」。地域コミュニティの範囲である「区」を目安に、ガイドが説明しながら散策するウォーキングイベントです。地域の歴史文化を学ぶことに主眼を置いているので、あえて「ウォーキング」ではなく「ウォッチング」という名称にしています。また、会員手づくりの資料をファイルにして参加者に配布し、散策後に“ぬかくど”で炊いたおにぎりを食べながら参加者同士の交流を深めるのが大きな特徴で、毎回100名近い参加がある人気イベントです。地域コミュニティの中を歩き、安曇野米のおにぎりを食べ、地域の人と会話する・・・。まさに「見えないモノ」を知るきっかけづくりが「ふるさとウォッチング」なのです。そして過去に開催した「ふるさとウォッチング」を県の元気づくり支援金を活用してまとめたのが「ふるさとウォッチングマップ」。2010年3月に第1集、2012年1月に第2集を各3000部発行し、第2集は県の優良事業として地方事務所長賞を受賞しました。

 NPOの活動を通して感じるのは、安曇野の風土に根ざした歴史、文化、景観の重さと奥深さです。移住者が安易に踏込めない領域がある一方で、既存の地域コミュ二ティだけでは解決できない新しい課題も見えています。そんな想いから昨年から取り組んでいるのが「旧保高宿のまちづくり」。あくまでもイベントに過ぎない「ふるさとウォッチング」から一歩踏込んで、地域住民と一緒にワークショップを重ねながらまちづくりを考えていく試みです。2012年1月は報告書としてまとめ、協働まちづくりのモデルとして県と市へ提言しました。

安曇野暮らしに必要なモノ

 移住者と地域住民に全く壁が無いと言えば嘘になるでしょう。私も含めて移住して何年経っても移住者には変わりませんが、移住者だからこそ「見えるモノ」もあります。また、親が移住者であっても、この地で生れた娘のふるさとは安曇野です。安曇野で生まれ育った娘が大人になった時、安曇野がふるさとで良かったと言ってもらいたい、それが私の活動の原動力になっているのかもしれません。移住者であるかないかに関わらず、安曇野で暮らす大人には、安曇野の良さを次代に引継いでいく責任があるのだと思います。

 「見えないモノ」の大切さは、安曇野で暮らし、様々な活動に参加することで初めて実感できました。そして、それらを知れば知るほど安曇野が好きになり、地域のコミュニティの一員であることを誇りに感じるようになったのです。「見えるモノ」はテレビやインターネットでも知ることができますが、「見えないモノ」は人を通してしか知ることができません。もし安曇野への移住を本気で考えているのなら、「見えないモノ」を見る知性と感性は必需品です。それが自然と共に生きる安曇野での暮らしに欠かせないモノであり、それによって新たな時代の安曇野の扉を開くことができるのですから・・・。