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テレビ時代をプロデュース 萩元 晴彦|安曇野市ゆかりの先人たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

【はぎもと はるひこ】 1930年から2001年 飯田市生まれ。

安曇野市堀金烏川(下堀)で育つ。早稲田大学露文科を卒業後、ラジオ東京(現Tbs)に入社。1971年(昭和46)テレビマンユニオンを創立、初代社長に就任。多くの名番組を制作、長野五輪では開閉会式のプロデューサーもつとめた。

テレビ創成期を駆けた
敏腕プロデューサー

萩元晴彦の育った下堀集落
萩元晴彦の育った下堀集落

太平洋戦争の敗戦後の貧しさを克服させたのが、昭和30年代からはじまった高度経済成長でした。「三種の神器」といわれた冷蔵庫・テレビ・電気洗濯機の普及は、それまでの暮らしを一変させました。
なかでもテレビの出現は、家庭に映像文化を届け、新聞・ラジオに加えて、多彩で迫力あふれる日々を創り出すようになりました。
堀金出身の萩元晴彦は、その創世期のテレビ放送界の名プロデューサーとして大きな足跡を残しました。

Tbsに入社し、その後、わが国ではじめて「テレビマンユニオン」というテレビ番組制作会社を創立、初代社長に就任しました。Tbsの制作関係者が人事異動で現場をはずされたのをきっかけに、15人が退社、萩元を中心に退職金を資本にして創立したものです。「ユニオン=組合」という名前にふさわしく、その運営も合議制できめるフリーの制作者集合体の性格を持っていました。
制作番組には、旅番組のさきがけである「遠くへゆきたい」、クラシック音楽への興味を高めた「オーケストラがやってきた」などの名番組があります。
ドキュメンタリーと別の要素を組み合わせて新ジャンルをつくるのが得意パターンで、社会・教養ものとドラマを合体し、「ドキュメンタリードラマ」というジャンルを確立しました。クイズ番組「世界ふしぎ発見」は、その流れをくむ番組です。

「テレビ論の名著」といわれる萩元らの著書
「テレビ論の名著」といわれる萩元らの著書

世界的指揮者・小沢征爾との親交も有名で、1997年(平成9)の長野オリンピックでの開会式のプロデューサーをつとめた彼は、小沢に依頼、世界各地をテレビ中継でつなぎ、小沢指揮のもと同時にベートーベンの第九を合唱するという大イベントを成功させました。
2001年、脳梗塞で亡くなったとき、告別式で小沢は、「萩さん」と遺影に向かってよびかけました。「ぼくがNHKとケンカして日本の音楽界から追放されようとしていたとき、あなたは、武道館での第九を振る企画をもってきてくれました」と友情のきっかけを涙ながらに語りました。
できるかぎりの知恵を活かし芸術家の才能と夢を開花させようとした萩元の努力は、晩年、母校・松本深志高校の野球部を再び甲子園へ、という動きにも示されました。多忙な日々、定期的に母校を訪れ後輩の指導に当たったのです。高校時代、甲子園のマウンドに立った自らの栄光を後輩にも味わってもらいたい、プロデューサーの心がここにも光っていました。
「一人の熱狂が、人と、この世界を変えるのです」
彼のよく口にした文言でした。

命を懸けて農民の声を訴えた 多田 加助