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井口 喜源治|安曇野ゆかりの先人たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

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井口 喜源治

いぐち きげんじ

研成義塾を経営し、生徒を指導。清沢洌・東條たかし・斉藤茂という俊英を生み出す。

生年月日1870年(明治3)
没年月日1938年(昭和13)
関連地域穂高(等々力町)
職業・肩書教育功労者
活躍年明治時代
ゆかりの分野文化(教育)

経歴

穂高等々力町に生れました。1876年(明治9)、東穂高矢原の研成学校に入学し、同年輩の相馬愛蔵と親しく学びました。松本中学校(現深志高等学校)を経て、明治法律学校(現明治大学)に2年間通いました。東穂高村高等小学校に勤務し、内村鑑三の影響による無教会キリスト教主義の人格主義教育によって、生徒を引っ張っていきました。また、相馬愛蔵・望月直弥等と共に東穂高禁酒会を組織し、キリスト教の伝導、芸妓置屋設置の反対運動、因襲打破革正運動の闘士として目覚しく活動しました。1898年(明治31)11月には、相馬安兵衛・臼井喜代等の有力者の賛助を得て、研成義塾が発足しました。後に師弟の荻原碌山・清沢洌・東條たかし等を米国へ送り出しました。開設してから35年間、清貧に甘んじつつ、営々として「人格本位の独立的教育」(創立30年式典によせた内村鑑三の祝辞)に精魂を傾けました。深い親交のあった荻原碌山の没後に、「荻原守衛君小伝」を書きました。

略歴譜

1870年(明治3)0歳穂高等々力町に生れる。
1876年(明治9) 東穂高矢原の研成学校に入学し、同年輩の相馬愛蔵と親しく学ぶ。
  松本中学校を経て、明治法律学校に2年間通う。
1891年(明治24) 東穂高村高等小学校に勤務する。内村鑑三の影響による無教会キリスト教主義の人格主義教育によって、生徒を引っ張っていく。
  相馬愛蔵・望月直弥等と共に東穂高禁酒会を組織し、芸妓置屋設置の反対運動、因襲打破革正運動等で目覚しく活動する。
1898年(明治31)11月27歳禁酒会青年によって、相馬安兵衛・臼井喜代等の有力者の賛助を得て、研成義塾が発足する。
1900年(明治33)10月 塾の基礎確立のためと将来の発展のため、相馬愛蔵と共に私財を投じて校舎の新築に着手する。
1901年(明治34) 1月1日31歳開塾後、2年2ヶ月で穂高三枚橋に新校舎が落成する。
  師弟の荻原碌山・清沢洌・東條たかし等を米国へ送り出す。
1928年(昭和3)12月2日 研成義塾創立30年記念式を行う。延べ生徒数七百数十名、式典参列者約800名という盛況ぶりであった。
1929年(昭和4)3月 深い親交のあった荻原碌山の没後に、「荻原守衛君小伝」を書く。
1938年(昭和13)68歳亡くなる。

参考文献

南安曇郡誌第三巻下南安曇郡誌改訂編纂会/編安曇野市立図書館
穂高町誌穂高町誌編纂委員会/編安曇野市立図書館