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井口 香山|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052105 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

井口香山写真

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井口 香山

いぐち こうざん

 山の絵を多く残した画家。藤森寿平(桂谷)の影響を受ける。画室を「常念山房・常念画房」と称した。

 
生年月日 1877年(明治10)
没年月日 1951年(昭和26)
関連地域 豊科(下鳥羽)
職業・肩書 南宗画家
活躍年 大正時代
ゆかりの分野 文化(芸術)

経歴

 豊科下鳥羽に生れました。生来絵を好み、藤森桂谷について南宗画法を学びました。京都から来遊した村田香谷に師事して、号を香山と称し、その後、児玉果亭に入門して研さんを積みました。1901年(明治34)、図画専任教員に選ばれ、神林・梓・豊科・和田の各小学校で10数年教えました。後に上京して、橋本雅邦に学んで近代絵画の道に進もうとし、横山大観から日本美術院への入会を勧められましたが、詩文と絵画一体の南宗画を忘れがたく、姫島竹外・松林桂月に師事し、詩文は安田泰堂・浜青州に学びました。藤森寿平(桂谷)の影響を受け、南宗画家であっても実景もとに描き、山の絵を多く残しました。大正から昭和戦前にかけて、皇族のご来遊に際し、登山に随行し、信濃の山々を描いた作品を献上しました。

略歴譜

 
1877年(明治10) 0歳 豊科下鳥羽に生れる。
    生来絵を好み、藤森桂谷について南宗画法を学ぶ。
    京都から来遊した村田香谷に師事して、号を香山と称し、その後、児玉果亭に入門して研さんを積む。 
1901年(明治34)   図画専任教員に選ばれ、神林・梓・豊科・和田の各小学校で10数年教鞭をとる。
    上京して橋本雅邦に学んで近代絵画の道に進もうとし、横山大観から日本美術院への入会を勧められる。
    詩文と絵画一体の南宗画を忘れがたく、姫島竹外・松林桂月に師事し、詩文は安田泰堂・浜青州の薫陶を受ける。
    藤森寿平(桂谷)の影響を受け、南宗画家であっても実景もとに描き、山の絵を多く残す。
    大正から昭和戦前にかけて、皇族のご来遊に際し、登山に随行し、信濃の山々を描いた作品を献上する。
  73歳 単身槍ヶ岳登山、写生をする。山を愛した香山は、画室を「常念山房・常念画房」と書き残している。
1951年(昭和26) 74歳 亡くなる。

参考文献

 
豊科町誌 豊科町誌編纂会/編 安曇野市立図書館
安曇野の美術 丸山楽雲/編 安曇野市立図書館
写真:画家 井口香山 上條 須美子/著 安曇野市立図書館

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