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隠岐 吉雄|安曇野ゆかりの先人たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

隠岐吉雄写真

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 隠岐 吉雄

 おき よしお

 東川手村村長として14年間、村政に尽す。また、日本赤十字社の事業に貢献し、東筑摩町村会副会長を務める。

生年月日1861年(万延2)1月4日
没年月日1912年(明治45)2月26日
関連地域明科(木戸)
職業・肩書自治功労者
活躍年明治時代
ゆかりの分野政治(政治)

経歴

 明科木戸に、東川手村長の長男として生れました。1899年(明治32)に、父より村政を受け継ぎ、1899年(明治32)から1912年(明治45)まで14年間、村長として村政の改善を図りました。この間に、小学校校舎の新築・隔離病舎の建築、日露戦役には後援の実を挙げ、その功績により勲七等青色桐葉章を受章しました。また、日本赤十字社の事業に貢献したほか、治山治水・道路改修等で大きな功績を挙げ、東筑摩町村会副会長を務めました。
 1912年(明治45)2月26日に、在職中に病気のため亡くなりました。村民はこれを惜しんで、望月桂に依頼して肖像画を作り、1913年(大正2)6月に、小学校建築10周年記念として小学校に寄附しました。

略歴譜

1861年(万延2)1月4日0歳明科木戸に、東川手村長の長男として生れる。
1899年(明治32) 父隠岐吉枝より村政を受け継ぎ、1899年(明治32)から1912年(明治45)まで14年間、村長として村政の改善を図る。
  小学校校舎の新築・隔離病舎の建築、日露戦役には後援の実を挙げ、その功績により勲七等青色桐葉章を賜る。
  日本赤十字社の事業に貢献したほか、治山治水・道路改修等で大きな功績を挙げ、東筑摩町村会副会長を務める。
1912年(明治45)2月26日51歳在職中に、病気のため亡くなる。
1913年(大正2)6月 村民が望月桂に依頼して肖像画を作り、小学校建築10周年記念として小学校に寄附する。

参考文献

明科町史明科町史編纂会/編安曇野市立図書館