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臼井 二尚|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052112 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

臼井 二尚写真

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 臼井 二尚

 うすい じしょう

 哲学を西田幾多郎に学び、社会学を究め、京都大学名誉教授となる。その後、数々の大学の教授を勤め、日本社会学会会長等の要職に就き、活躍した。

生年月日 1900年(明治33)
没年月日 1991年(平成3)3月
関連地域 堀金(田尻)
職業・肩書 社会学者
活躍年 昭和時代
ゆかりの分野 文化(教育)

経歴

 堀金田尻に生れました。1926年(大正15)に、京都帝国大学(現京都大学)文学部社会学科に入学し、哲学を西田幾多郎に学びました。卒業後は、文学部の講師となり、社会学を担当しました。1930年(昭和5)から2年間、社会学研究のため、ドイツ・フランス・アメリカ等に在留し、帰国後、京都帝国大学助教授となり、社会学を担当し、1944年(昭和19)に教授となりました。1945年(昭和20)には、論文「社会と民族」によって文学博士の称号を受け、正五位に叙せられました。1963年(昭和38)に京都大学名誉教授となり、その後、関西大学教授・帝塚山大学教授・仏教大学教授等を勤めました。この間、京都哲学会委員・日本社会学会理事・同常任理事・同会長・京都帝国大学人文科学研究所兼任所員・日伊学術委員会委員等の要職に就き、活躍しました。1991年(平成3)3月、90歳で亡くなりました。

略歴譜

1900年(明治33) 0歳 堀金田尻に生れる。
1926年(大正15)   京都帝国大学文学部社会学科に入学し、哲学を西田幾多郎に学ぶ。
1928年(昭和3)   京都帝国大学文学部社会学科を卒業し、文学部の講師となり、社会学を担当する。
1930年(昭和5)   社会学研究のため、ドイツ・フランス・アメリカ等に在留する。
1932年(昭和7)   帰国後、京都帝国大学助教授となり、社会学を担当する。
1944年(昭和19)   京都帝国大学文学部教授となる。
1945年(昭和20)   論文「社会と民族」によって文学博士の称号を受け、正五位に叙せられる。文学部長となる。
1963年(昭和38)   京都大学名誉教授となる。次いで、大谷大学教授となる。
1965年(昭和40)   関西大学教授となり、初代社会部長を勤める。 
1971年(昭和46)   教育功労者として勲二等旭日重光章を受ける。
1972年(昭和47)   帝塚山大学教授・仏教大学教授に就任する。
    日本社会学会理事・同会長・京都帝国大学人文科学研究所兼任所員・日伊学術委員会委員等数々の要職に就く。
1991年(平成3)3月 90歳 亡くなる。

参考文献

堀金村誌 堀金村誌編纂委員会・堀金村公民館/編 安曇野市立図書館

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