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遠藤 金治|安曇野ゆかりの先人たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

遠藤 金治

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 えんどう きんじ

 郡会議員。信越西線(現大糸線)の敷設に尽力する。

生年月日1872年(明治5)5月5日
没年月日1921年(大正10)4月1日
関連地域明科(中村)
職業・肩書鉄道敷設功労者
活躍年明治時代
ゆかりの分野社会(交通通信)

経歴

 明科中村に生れました。陸郷村の学務員を勤め、1907年(明治40)に北安曇郡会議員となり、1915年(大正4)まで勤めました。その間、信越西線(現大糸線)の敷設に尽力しました。
1909年(明治42)2月、糸魚川より大町・池田を経て明科へ、または松川・穂高を経て松本への構想により期成同盟会を作り、貴衆両院へ敷設請願しました。同年3月、郡会議員の代表として、他の二人と共に、帝国議会通過確認に上京しました。後に、信越西線は安曇鉄道・信濃鉄道と改称され、1913年(大正2)に松本で起工式を挙げました。1916年(大正5)7月には、大糸線が大町まで開通しました。
1921年(大正10)4月1日に、亡くなりました。

略歴譜

1872年(明治5)5月5日0歳明科中村に生れる。
  陸郷村の学務員を勤める。
1907年(明治40) 1915年(大正4)まで北安曇郡会議員となる。
  信越西線(現大糸線)の敷設に尽力する。
1909年(明治42)2月36歳糸魚川より大町・池田経由明科へ、または松川・穂高経由松本への構想で期成同盟会を作り、貴衆両院へ請願をする。
1909年(明治42)3月36歳郡会議員の代表として、他の二人と共に、帝国議会通過確認に上京する。
  信越西線は、安曇鉄道・信濃鉄道と改称する。
1913年(大正2) 松本で起工式を挙げる。
1916年(大正5)7月44歳大糸線が大町まで開通する。
1921年(大正10)4月1日48歳亡くなる。

参考文献

明科町史明科町史編纂会/編安曇野市立図書館