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遠藤 八志路|安曇野ゆかりの先人たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

遠藤 八志路

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  えんどう やしろ

  村長、県会議員。県道犀川線の開通・木戸橋・睦橋の架橋・道路拡張改修等に尽力する。

生年月日1875年(明治8)11月10日
没年月日1933年(昭和8)10月2日
関連地域明科(中村)
職業・肩書公共事業功労者
活躍年昭和時代
ゆかりの分野経済(産業)

経歴

  明科中村に、五ヵ用水開発に尽力した丈四郎の孫として生れました。1915年(大正4)に郡会議員に就任し、1918年(大正7)には陸郷村長となって、1921年(大正10)まで勤めました。明科繭糸社長、昭和初年県会議員一期に就任し、1928年(昭和3)10月に、犀川の通船に努力し、1年間明科・新町間の犀川飛行艇の運行にも協力しました。この間、県道犀川線の開通に尽力し、同年に起工となりました。1930年(昭和5)に、木戸橋が永久橋として架橋され、翌1931年(昭和6)には、睦橋が永久橋として架橋されました。また、道路拡張改修工事を各地で行いました。1933年(昭和8)に、土地を寄附して中村公園の開設に尽力しました。同年の10月2日に、亡くなりました。

略歴譜

1875年(明治8)11月10日0歳明科中村に、五ヵ用水開発に尽力した丈四郎の孫として生れる。
1915年(大正4) 郡会議員に就任する。
1918年(大正7) 1921年(大正10)まで、陸郷村長を勤める。
  明科繭糸社長、昭和初年県会議員一期を勤める。
1928年(昭和3)10月52歳犀川の通船に努力をし、1年間、明科・新町間の犀川飛行艇の運行にも協力する。
1928年(昭和3)12月53歳県道犀川線の開通に尽力し、起工となる。
1930年(昭和5) 木戸橋が永久橋として架橋される。
1931年(昭和6) 睦橋が永久橋として架橋される。
  道路拡張改修工事を各地で行う。
1933年(昭和8) 土地を寄附して中村公園の開設に尽力する。
1933年(昭和8)10月2日57歳亡くなる。

参考文献

明科町史明科町史編纂会/編安曇野市立図書館