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岡村 千馬太|安曇野ゆかりの先人たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

岡村 千馬太

岡村 千馬太写真

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 おかむら ちまた

 三宅雪嶺の「東西南北会」の信濃のリーダーとして、信濃教育の自由刷新の為に尽力。

生年月日1875年(明治8)
没年月日1936年(昭和11)6月15日
関連地域三郷(中萱)
職業・肩書教育功労者
活躍年明治時代
ゆかりの分野文化(教育)

経歴

 三郷中萱に生れました。16歳で豊科の南安曇高等小学校を卒業して、松本の弁護士滝沢友江の書生となりました。近隣の松原塾が契機となり、思想感情に影響を受け、1891年(明治24)上京し、小日向台町の尚志社に入って識見を広めました。1893年(明治26)、長野師範学校に入学し、浅岡校長の憂国の至誠に感化されました。千馬太の遠大な志を感じた担任の小平治先生から「知(二)時務(一)持(二)大節(一)則師道埃」の詩を贈られました。1897年(明治30)に師範学校を卒業して、東穂高小学校を始め、東信・南信の学校を歴任した後、長野県視学等を勤めました。特に同志とはかって、「東西南北会」の主唱者となり、天下の名士を招いて講演会を開き、教育者の進むべき道を談じました。南安曇教育会の初代会長を勤めたほか、信濃教育会役員として互助会の設立に努め、教育会館の建設に尽力しました。1929年(昭和4)、東京都北多摩郡千歳村で、郷里の客を迎える施設を整備し、教育のあり方を世に訴えました。 ※詩の中の()内の漢字は、返り点です。

略歴譜

1875年(明治8)0歳三郷中萱に生れる。馬を愛した父秋太郎は「千馬太」と名づける。
 16歳豊科の南安曇高等小学校を卒業、松本の弁護士滝沢友江の書生となる。近隣の松原塾が契機となり、思想感情に影響を受ける。
1891年(明治24) 上京し、小日向台町の尚志社に入って識見を広める。
1893年(明治26) 長野師範学校に入学、浅岡校長の憂国の至誠に感化される。千馬太の遠大な志を感じた担任の小平先生から詩を贈られる。
1896年(明治29) 東邦協会に入会し、帝国ホテルの総会に出席する。大隈外務大臣の演説に感銘し、対外認識の普及に目覚める。
1897年(明治30) 師範学校を卒業して、東穂高小学校を始め、東信・南信の学校を歴任する。同志とはかって、「東西南北会」の主唱者となり、活躍する。
1900年(明治33) 伊那小学校在任中、「欅樹書院」で起居し、さまざまな職業の人たちと出会い、更に新しい見識を養う。
1921年(大正10) 全県的な衆望を担って、長野県視学となる。
1921年(大正10)秋 更科郡長に任命されるが、終生教育者の信念を貫くため固辞する。
  郡の教育会長に選出される。信濃教育会役員として互助会の設立に努め、教育会館の建設に尽力する。
1929年(昭和4) 梓小学校々長を退職し、東京都北多摩郡千歳村で、郷里の客を迎える施設を整備し、教育のあり方を世に訴える。
1936年(昭和11)6月15日61歳鎌倉で静養中に、病気のため亡くなる。

参考文献

南安曇郡誌第三巻下南安曇郡誌改訂編纂会/編安曇野市立図書館
三郷村誌1三郷村誌編纂会/編安曇野市立図書館
写真:岡村千馬太先生