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下里 庄助|安曇野ゆかりの先人たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

下里 庄助

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 しもさと しょうすけ

 寺子屋師匠の後、押野上学校の教員となる。

生年月日1808年(文化5)11月15日
没年月日明治初年
関連地域明科(上押野)
職業・肩書教育者
活躍年明治時代
ゆかりの分野文化(教育)

経歴

 明科上押野に生れました。岩村田藩士で耕山と号しました。下里三郎の家に寄寓し、後に故あって下里を名乗りました。高嶋東水(耕坦)の門人となり、漢学に精しく、天文暦法、音韻算数、国学に通じていました。需め(もとめ)に応じて寺子屋師匠となり、1873年(明治6)10月には、64歳で押野上学校の教員となりました。亡くなって後、1876年(明治9)5月に門弟が筆塚を建てました。

略歴譜

1808年(文化5)11月15日0歳明科上押野に生れる。
  岩村田藩士で耕山と号す。
  高嶋東水(耕坦)の門人となり、漢学に精しく、天文暦法、音韻算数、国学に通ずる。
  需めに応じて寺子屋師匠となる。
1873年(明治6)10月64歳押野上学校の教員となる。
明治初年 亡くなる。
1876年(明治9)5月 門弟が筆塚を建てる。

参考文献

明科町史明科町史編纂会/編安曇野市立図書館