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下里 甚兵衛|安曇野ゆかりの先人たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

下里 甚兵衛

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  しもさと じんべえ

  光御法田の犀川川床を開拓し、人々から讃えられ、「甚兵衛島」と呼ばれる。

生年月日弘化年間
没年月日1887年(明治20)
関連地域明科(中条)
職業・肩書開拓功労者
活躍年明治時代
ゆかりの分野社会(社会事業)

経歴

  明科中条に生れ、甚太郎ともいわれました。
光御法田の犀川川床を開拓し、面積は20町歩にも及びました。土地の人々は、その場所を「甚兵衛島」と呼んで讃えました。また、用水堰も開発しました。
 1887年(明治20)に亡くなりました。

略歴譜

1844から1848年(弘化年間)0歳明科中条に生れる。甚太郎ともいう。
  光御法田の犀川川床を開拓し、面積は20町歩にも及ぶ。
  土地の人々は、その場所を讃えて「甚兵衛島」と呼んで讃えた。
  用水堰も開発する。
1887年(明治20) 亡くなる。

参考文献

明科町史明科町史編纂会/編安曇野市立図書館