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下里 豊|安曇野ゆかりの先人たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

下里 豊

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 しもさと ゆたか

 上川手村助役として村政に尽力する。漢詩・和歌をたしなみ、姓名学・易学を学び、書を能(よ)くして、近隣・近郷の人々のために尽す。

生年月日1879年(明治12)1月4日
没年月日1960年(昭和35)2月23日
関連地域明科(中条)
職業・肩書漢学者・書家
活躍年昭和時代
ゆかりの分野文化(文芸)

経歴

  明科中条の甚兵衛の孫、父甚一郎の長男として生れました。学業を終えて後、漢学者田原先生に師事して漢学を修めました。長野県巡査として勤務し、日露戦争に従軍して、二〇三高地、奉天の戦等に加わり、1905年(明治38)11月に凱旋(がいせん)しました。1926年(大正15)1月には上川手村助役となり、1930年(昭和5)1月まで勤めました。
退職後は、農業の傍ら行政書士を業としました。漢詩・和歌をたしなみ、姓名学・易学を学び、近隣の相談相手や名付け親としても有名となりました。書を能(よ)くし、汝南亭北溟(じょなんていほくめい)と号し、近郷の愛好者の所望に応じて揮毫しました。1960年(昭和35)2月23日に亡くなりました。

略歴譜

1879年(明治12)1月4日0歳明科中条の甚兵衛の孫、父甚一郎の長男として生れる。
  学業を終えて後、漢学者田原先生に師事して漢学を修める。
  長野県巡査として勤務する。
  日露戦争に従軍し、二〇三高地、奉天の戦等に加わる。
1905年(明治38)11月26歳凱旋する。
1926年(大正15)1月 上川手村助役を、1930年(昭和5)1月まで勤める。
  退職後は農業の傍ら行政書士を業とする。
  漢詩・和歌をたしなみ、姓名学・易学を学び、近隣の相談相手や名付け親としても有名となる。
  書を能くし、汝南亭北溟と号し、近郷の愛好者の所望に応じて揮毫する。
  作品「光陰如矢只忽忽、月雪花焉夢幻中 日暮前途猶程遠、凡夫未悟奈阿蒙」を残す。
  作品「一とつかみはこべの青みきりまぜて、鶏にゑさやる七草の朝」を残す。
1960年(昭和35)2月23日81歳亡くなる。

参考文献

明科町史明科町史編纂会/編安曇野市立図書館

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