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加藤 寿々子|安曇野ゆかりの先人たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

加藤 寿々子

加藤 寿々子写真

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 かとう すずこ

 市川房江に協力し、戦前・戦後と婦人解放運動に活躍。

生年月日1898年(明治31)
没年月日1997年(平成9)1月31日
関連地域堀金(上堀)
職業・肩書婦人運動家
活躍年昭和時代
ゆかりの分野社会(社会事業)

経歴

  堀金上堀に生れました。県立松本高等女学校(現蟻ヶ崎高等学校)を経て、日本女子高等学院(現昭和女子大学)の英文科を卒業しました。1925年(大正14)、26歳の時、在学中の師である加藤朝鳥(文芸評論家・翻訳家)と結婚、夫の原稿整理や雑誌編集等に充実した日々を送りました。夫の亡くなった後は、勅使河原蒼風の門に入り、華道教授となりました。1940年(昭和15)、知人の斡旋で市川房枝等が発行する「女性展望」の編集員となり、市川房枝との親交を契機に、婦人運動に情熱を傾けるようになりました。戦後も松本で婦人運動を続け、1945年(昭和20)に「新日本婦人同盟」が結成され、翌年には「新日本婦人同盟松本支部」の支部長となりました。また、「いのちの色」を発表しました。1951年(昭和26)には、松本市婦人団体連絡協議会委員となりました。

略歴譜

1898年(明治31)0歳堀金上堀に生れる。
  夫(文芸評論家、翻訳家)加藤朝鳥の原稿整理や雑誌編集等に充実した日々を送る。
  加藤朝鳥の亡くなった後は、勅使河原蒼風の門に入り、華道教授となる。
1940年(昭和15) 市川房枝等が発行する「女性展望」の編集員となり、市川房枝との親交を契機に、婦人運動に情熱を傾けるようになる。
1944年(昭和19)春 弟らが経営する上高地温泉ホテルへ疎開する。
1945年(昭和20) 戦後も松本で婦人運動を続ける。「新日本婦人同盟」が結成される。
1946年(昭和21) 「新日本婦人同盟松本支部」の支部長となる。「いのちの色」を上梓する。
1947年(昭和22) 市川房枝を招いて、松本で講演会を開く。1980年(昭和55)まで、7回に及ぶ講演会を斡旋する。
1950年(昭和25) 松本婦人会が発足する。
  本部とのパイプ役として支部の発展をはかり、「松本市働く婦人の家」の建設等を支援し、女性解放への活動を続ける。
1988年(昭和63)9月 ポーランド政府に招かれ、ポーランド文学を日本に紹介した加藤朝鳥の翻訳原稿や著書に対面する。
1997年(平成9)1月31日 亡くなる。

参考文献

堀金村誌堀金村誌編纂委員会・堀金村公民館/編安曇野市立図書館