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会田 貢|安曇野ゆかりの先人たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

会田 貢

会田 貢写真

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 あいだ みつぐ

 地方ジャーナリスト。「血涙」の号を持ち、豊科で1911年(明治44)から太平洋戦争後の1951年(昭和26)まで地方雑誌「信濃不二」を発刊した。

生年月日1876年(明治9)
没年月日1951年(昭和26)
関連地域穂高(富田。豊科成相に在住。)
職業・肩書地方ジャーナリスト
活躍年大正時代
ゆかりの分野社会(報道出版)

経歴

 穂高富田に生れました。信濃毎日新聞社通信員、日露戦争従軍記者等の仕事に従事しました。1911年(明治44)、穂高の小川昇によって発行されていた地方雑誌「信濃富士」の後を継いで、「信濃不二」の名で発行しました。豊科成相に在住して、ペンネームを会田血涙(あいだけつるい)といいました。文人・地方ジャーナリストとして、他に類例を見ない、地方雑誌「信濃不二」を、1951年(昭和26)までの33年間(言論・用紙統制等による休刊を除く)に424号を発行しました。また「毒舌悪筆」(コラムで世相を風刺)、従軍記事(穂高上原出身の画家小室孝雄の従軍記を連載)も発表しました。1951年(昭和26)に75歳で亡くなりました。

略歴譜

1876年(明治9)0歳穂高富田に生れる。
  信濃毎日新聞社通信員、日露戦争従軍記者等の仕事に従事する。
1911年(明治44) 穂高の小川昇によって発行されていた地方雑誌「信濃富士」の後を継いで、「信濃不二」の名で発行する。
  豊科成相に在住して、ペンネームを会田血涙という。
  1951年(昭和26)まで33年間(言論・用紙統制等による休刊を除く)に424号を発行する。
1951年(昭和26)75歳亡くなる。

参考文献

豊科町誌豊科町誌編纂会/編安曇野市立図書館