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笠原 宗司|安曇野ゆかりの先人たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

笠原 宗司

笠原 宗司写真

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 かさはら そうじ

 安曇で田中銀行業務で活躍。県会議員、求策と共に拾ヶ堰の堰守として奔走。

生年月日1854年(安政1)
没年月日1886年(明治19)12月
関連地域豊科(成相。松本市出身。)
職業・肩書自治功労者
活躍年明治時代
ゆかりの分野経済(産業)

経歴

  松本和田に生れました。1873年(明治6)に、豊科成相の笠原治平(幕末の庄屋職)の養子となりました。1875年(明治8)に、豊科村から拾ヶ堰の堰守の委託を受け、日夜奔走しました。当時の堰守は、穂高の松沢求策・堀金の青柳市三郎と笠原宗司の3人でした。1881年(明治14)に、南安曇郡備荒貯蓄掛となり、その後は、長野県会議員・南安曇郡第一番学区会議員・豊科村会議員・南安曇郡連合村会議員・学務委員・豊科ほか二か村連合村会議員等を歴任して、動乱期の県政や教育行政に尽力しました。1886年(明治19)に、松本の大火があり、郡下でコレラが発生し、私財を投じて窮民を救いました。また、田中銀行豊科出張店取扱役としても活躍しました。1886年(明治19)12月に、送金中を襲撃され、32歳で亡くなりました。

略歴譜

1854年(安政1)0歳松本和田に生れる。
1873年(明治6) 豊科成相の笠原治平(幕末の庄屋職)の養子となる。
1875年(明治8) 豊科村から拾ヶ堰の堰守の委託を受け、日夜奔走する。
  当時の堰守は、穂高の松沢求策・堀金の青柳市三郎と笠原宗司の3人であった。
1881年(明治14) 南安曇郡備荒貯蓄掛となる。
1882年(明治15) 推されて郡を代表して長野県会議員となり、動乱期の県政に活躍している。
1884年(明治17) 南安曇郡第一番学区会議員・豊科村会議員・南安曇郡連合村会議員に任ぜられる。
1885年(明治18) 学務委員となり、郡的な範囲で通学区等の問題の衛に当る。
1886年(明治19)4月 「豊科ほか二か村連合村会議員」として、小学校令の改正による高等小学校開設の準備のため働く。
1886年(明治19)12月32歳銀行への納付金を届ける途中、賊の凶刃に倒れ、亡くなる。

参考文献

豊科町誌豊科町誌編纂会/編安曇野市立図書館
鋤鍬の民権 松沢求策の生涯中島 博昭/著安曇野市立図書館