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丸山 岩雄|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0051996 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

丸山 岩雄

丸山 岩雄写真

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 まるやま いわお

 法華経の精神を活かし、波田と有明に青年修練道場「瑞穂精舎」を開設、運営。

生年月日 1881年(明治14)
没年月日 1949年(昭和24)
関連地域 堀金(小田多井)
職業・肩書 実業家
活躍年 昭和時代
ゆかりの分野 文化(宗教)

経歴

 堀金小田多井に生れました。1900年(明治33)、19歳のとき、小田多井の生家で肥料商を開業しました。この頃、下堀の法華経行者、中田常太郎の祈祷疾患治癒(きとうしっかんちゆ)のことが機縁となり、法華経の信仰に入りました。1914年(大正3)、実業家渋沢栄一の立志伝を読んで発奮し、松本伊勢町に転居、米穀商・肥料飼料卸兼小売商を開業しました。農事米作肥料法について学び、中信肥料商業組合理事長、長野県肥料卸商組合理事を務め、農業の向上、同業組合の発展に尽しました。1919年(大正8)に松本法華会会長となり、町村団体の講師として法華会講習会を数千回開催しました。1940年(昭和15)、全財産を投じて瑞穂精舎有明道場を建設し、翌1941年(昭和16)に落成・開道し、道場長を9年間勤めました。

略歴譜

1881年(明治14) 0歳 堀金小田多井の曽乃弥の長男に生れる。
1900年(明治33) 19歳 小田多井の生家で肥料商を開業する。この頃、下堀の法華経行者中田常太郎の祈祷疾患治癒が機縁で、法華経の信仰に入る。
1914年(大正3) 33歳 実業家渋沢栄一の立志伝を読んで発奮、大志を抱いて松本伊勢町に転居、米穀商・肥料飼料卸兼小売商を開業する。
    三井三菱との特約、ドイツのハーレンス硫安会社から硫安直輸入に成功し、巾上に肥料倉庫3棟、北松本駅構内に倉庫を建てる。
    松本市公会堂において、大正天皇御大典記念大講演会を主催する。 
1919年(大正8)   松本法華会会長となる。 
1923年(大正12)   方面委員制度実施以来、17年間勤続する。関東大震災では深川で罹災者の救済に当る。
    松本公会堂で農事養蚕講習会を開催し、私設図書館と修養場を自宅に設けて、農業関係図書を無料で貸し出したりして開放する。
1929年(昭和4)   和合恒男・代田文誌と計り、青年修錬道場瑞穂精舎波田道場を建設し、開道する。
1940年(昭和15)   節目となる出来事が続き、実業界を引退し、中堅青年の人物養成に専念する。
    全財産を投じて瑞穂精舎有明道場を建設し、翌1941年(昭和16)に落成・開道し、道場長を9年間勤める。
    終戦前後、明大教授河合陟・鈴木うた子女史と計り、天皇陛下に「日本教学論」を献上する。
1949年(昭和24) 68歳 亡くなる。

参考文献

南安曇郡誌第三巻下 南安曇郡誌改訂編纂会/編 安曇野市立図書館
堀金村誌 堀金村誌編纂委員会・堀金村公民館/編 安曇野市立図書館

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