丸山 宗正|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052000 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新
丸山 宗正
まるやま むねまさ
国学者で能筆。三代にわたる寺子屋師匠、子弟は500人に及ぶといわれる。
生年月日 | 不詳 |
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没年月日 | 1900年(明治33) |
関連地域 | 明科(小泉神谷) |
職業・肩書 | 寺子屋師匠 |
活躍年 | 江戸時代以前 |
ゆかりの分野 | 文化(教育) |
経歴
明科小泉神谷に生れました。諱(いみな)は、宗吉と称しました。父に学び国学を修め、書は顔真卿(がんしんけい)を能(よ)くしました。安政の頃から、父の代りに師匠となりました。祖父の宗吉・親の宗頼も師匠になり3代にわたる小泉・中村・寺村の子弟は、500人に及ぶといわれました。1899年(明治32)5月に、門人等が相談して、三宅逸平次の子の漢学者降幡みさごの撰并書による、3人の筆塚を建てました。宗正は、翌1900年(明治33)に、76歳で亡くなりました。
略歴譜
生年不詳 | 明科小泉神谷に生れる。 | |
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諱は、宗吉と称する。 | ||
父に学び国学を修め、書は顔真卿を能くする。 | ||
安政頃 | 父の代りに師匠となる。 | |
1899年(明治32)5月 | 門人等が相談して、三宅逸平次の子の漢学者降幡みさごの撰并書による、3人の筆塚を建てる。 | |
1900年(明治33) | 76歳 | 亡くなる。 |
祖父の宗吉・親の宗頼も師匠になる。 | ||
3代にわたる小泉・中村・寺村の子弟は、500人に及ぶといわれる。 |
参考文献
明科町史 | 明科町史編纂会/編 | 安曇野市立図書館 |
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