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丸山 庄蔵|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052002 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

丸山 庄蔵

 まるやま しょうぞう

 四代にわたる寺子屋師匠。子弟は500人に及ぶといわれている。

生年月日 不詳
没年月日 1847年(弘化4)9月10日
関連地域 明科(上押野)
職業・肩書 寺子屋師匠
活躍年 江戸時代以前
ゆかりの分野 文化(教育)

経歴

 明科上押野に生れました。先祖は、丸山将監の弟喜兵衛といわれています。1573年から1592年(天正年間)に、この地に土着しました。父辰右衛門及び桂如風に、国学・漢学・経史・書法を学び、謡曲・俳諧・和歌・礼法を能(よ)くしました。子の権右衛門、孫の二左衛門と4代にわたって寺子屋師匠をし、子弟は500人に及ぶといわれています。筆塚には、高島章貞の筆で、「吾祖父如風翁の門人、丸山庄蔵筆子中より筆営めるそのよろこびに、分直の親のその子も親になりにける。あとはいく世もつきぬ碑 源章貞」等が刻まれています。1847年(弘化4)9月10日に、亡くなりました。

略歴譜

生年不詳   明科上押野に生れる。
    先祖は、丸山将監の弟喜兵衛といわれている。天正年間に、この地に土着する。
    父辰右衛門及び桂如風に、国学・漢学・経史・書法を学び、謡曲・俳諧・和歌・礼法を能くする。
    子の権右衛門、孫の二左衛門と4代にわたって寺子屋師匠をし、子弟は500人に及ぶといわれている。
    筆塚に、高島章貞の筆で、「吾祖父如風翁の門人、丸山庄蔵筆子中より筆営めるそのよろこびに、分直の親のその子も親になりにける。あとはいく世もつきぬ碑 源章貞」等が刻まれる。
1847年(弘化4)9月10日   亡くなる。

参考文献

明科町史 明科町史編纂会/編 安曇野市立図書館

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