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丸山 富子|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052005 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

丸山 富子

丸山 富子写真

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  まるやま とみこ

 太平洋戦争直前、信濃毎日新聞に反戦詩を発表。

生年月日 1921年(大正10)1月16日
没年月日 1943年(昭和18)
関連地域 穂高(久保田)
職業・肩書 文芸家
活躍年 昭和時代
ゆかりの分野 文化(文芸)

経歴

 穂高久保田の農家に生れました。ほとんど独学で詩を学び、詩作し、短編小説「杉苔」他を信濃毎日新聞文芸欄等に投稿しました。官憲の思想検閲が厳しくなる中、勇気を出して兄の戦死を嘆く反戦散文詩「散りぬるを」を、信濃毎日新聞学芸欄で発表しました。この詩には、鋭敏な感性や家族愛・正義感・戦争否定・歴史観が表出されていて、現在でも読者に感動を与えています。「散りぬるを」は、明治から昭和初期にかけて活動した女流詩人与謝野晶子が、1905年(明治38)に弟の戦争出征を嘆いて発表し、全国に大きなセンセーションを巻き起こした、「君死にたまふことなかれ」に負けぬ作品であると言われています。また、富子は、文芸家・演劇家の清沢清志を人生と文学の師として傾倒し、慕いました。

略歴譜

1921年(大正10)1月16日 0歳 穂高久保田の農家に生れる。
    松本職業学校(現美須々ヶ丘高等学校)を卒業する。
    家事を手伝いながら、信濃若草会(東筑片丘村北熊井嶋崎方)発行の文芸誌「桑の実」の同人となる。
    ほとんど独学で詩を学び、詩作し、短編小説「杉苔」他を信濃毎日新聞文芸欄等に投稿する。
1941年(昭和16)9月18日 20歳 官憲の思想検閲が厳しくなる中、勇気を出して兄の戦死を嘆く反戦散文詩「散りぬるを」を、信濃毎日新聞学芸欄で発表する。 
1943年(昭和18) 21歳 病気のため亡くなる。

参考文献

同人誌「かおす」116号 かおすの会/発行

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