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岩原 愛策|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052007 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

岩原 愛策

岩原 愛策写真
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 いわはら あいさく

 梓橋・田沢橋・郡内道路・拾ヶ堰の改修。烏川村長、県議。

生年月日 1870年(明治3)
没年月日 1923年(大正12)
関連地域 堀金(上堀)
職業・肩書 自治功労者
活躍年 明治時代
ゆかりの分野 政治(政治)

経歴

  堀金上堀の旧家「ならや」に生れました。1889年(明治22)に烏川役場書記に選任され、1895年(明治28)、烏川役場収入役に抜擢され2期7年間勤め、1902年(明治35)には烏川村長となりました。村長第2期8年間就任中に、堀金小学校本校舎を建築し、村の教育環境は面目を一新したほか、村基本財産の増成を意図して、岩原区の国有林36町歩の払い下げを受け、剰余金5千円を獲得しました。南安曇郡道路調査委員として、梓橋・田沢橋等の橋梁、郡内道路の改修に奔走し尽力しました。1915年(大正4)に県会議員に当選し、ただちに参事会員に推挙されました。また、県治水調査委員の時に拾ヶ堰の改修工事を行いました。このほか、飯田慶司と共に尽力して、南安曇農学校設置に成功しました。

略歴譜

1870年(明治3) 0歳 堀金上堀の旧家「ならや」に生れる。
1889年(明治22)   烏川役場書記に選任される。
1895年(明治28)   烏川役場収入役に抜擢され、2期7年間勤める。
1902年(明治35) 32歳 烏川村長となり、2期8年間勤める。
1905年(明治38)   村長第2期就任中に、堀金小学校本校舎を建築し、村の教育環境は面目を一新する。
    村基本財産の増成を意図して、岩原区の国有林36町歩の払い下げを受け、剰余金5千円を獲得し、感謝状と金盃が贈られる。
    南安曇郡道路調査委員として、梓橋・田沢橋等の橋梁、郡内道路の改修に奔走し尽力する。
1915年(大正4)   県会議員に当選し、ただちに参事会員に推挙される。
    県治水調査委員の時、堰管理者黒岩重義等と共に、拾ヶ堰改修の精密な調査を行って計画し、幾多の難関を乗り越え工事を行う。
1919年(大正8)   起工から3年で、この難事業は完成し、拾ヶ堰水利組合から感謝状と金盃が贈られる。
    飯田慶司と共に尽力して、南安曇農学校設置に成功する。
1923年(大正12) 53歳 上堀区平木の耕地整理に奔走中に病気となり、亡くなる。

参考文献

南安曇郡誌第三巻下 南安曇郡誌改訂編纂会/編 安曇野市立図書館
堀金村誌 堀金村誌編纂委員会・堀金村公民館/編 安曇野市立図書館

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