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久保田 文三|安曇野ゆかりの先人たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

久保田 文三

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  くぼた ふみぞう

  俳人。京都花の本宗家第十一代宗匠聴秋に師事し、宗匠の免許を与えられ、陸郷村の俳句の中心的な存在として活躍する。

生年月日1882年(明治15)1月1日
没年月日1959年(昭和34)6月4日
関連地域明科(中村)
職業・肩書俳人
活躍年大正時代
ゆかりの分野文化(文芸)

経歴

  明科中村で生れました。家業の瓦作りに従事し、余暇に俳道に入りました。京都花の本宗家第十一代宗匠聴秋に師事して、宗匠の免許を与えられ、俳号を石村と称し、同好の士と共に活躍しました。明治中期の遠藤錦濤・関喝采の後を引き継ぎ、大正時代からは陸郷村の俳句の中心的な存在となって句会を開きました。1914年(大正3)、登波離橋東の山腹に、師匠の聴秋の句碑、「鶴にのるおもいや春の雲の上」を陸郷村の同志と協力して建てました。以来、諸寺堂に句額を残しました。還暦になり、出家を志して高野山遍照光院に三度入山して、宗門生活を18年間続け、この間に生坂村小立野乳房堂・中村専光寺大日堂堂守等を歴任し、中村公園に四国八十八か所巡礼塔を建てました。

略歴譜

1882年(明治15)1月1日0歳明科中村に生れる。
  家業の瓦作りに従事し、余暇に俳道に入る。
  京都花の本宗家第十一代宗匠の聴秋に師事する。
  宗匠の免許を与えられ、俳号を石村と称し、同好の士と共に活躍する。
  明治中期の遠藤錦濤・関喝采の後を引き継ぎ、大正時代からは陸郷村の俳句の中心的な存在となって句会を開く。
1914年(大正3)32歳登波離橋東の山腹に、師匠の聴秋の句碑、「鶴にのるおもいや春の雲の上」を陸郷村の同志と協力して建てる。
  以来、諸寺堂に句額を残す。
 60歳還暦になり、出家を志して、高野山遍照光院に三度入山して、「大律師石村」の法名を授かり、宗門生活を18年間続ける。
  この間に、生坂村小立野乳房堂・中村専光寺大日堂堂守等を歴任する。
1944年(昭和19)62歳中村公園に四国八十八か所巡礼塔を建てる。
1959年(昭和34)6月4日77歳亡くなる。