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宮下 孫左衛門|安曇野ゆかりの先人たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

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宮下 孫左衛門
みやした まござえもん

庄屋・越(こし)庄屋として、私費を投じ、高瀬川の川除(かわよけ)・五ヵ用水の改修工事・郡境論争に尽力する。

生年月日1823年(文政6)
没年月日1883年(明治16)3月5日
関連地域明科(上押野)
職業・肩書庄屋・越庄屋
活躍年江戸時代以前
ゆかりの分野経済(産業)

 

経歴

明科上押野に生れました。押野村の庄屋、及び鵜山村の越庄屋を勤めました。私費を投じて堀川を堀り、高瀬川の瀬戻しをし、高瀬川の川除に尽したほか、五ヵ用水の改修工事や郡境争論にも尽力しました。1861年(文久1)、和宮様のご降嫁の時は、村民と共に中山道の宿場へ助郷(すけごう)に出て、夫食(ぶじき)の炊き出し等の世話役を申し付けられ、格別に精を出したので、殿様より褒美金を頂戴しました。元治・慶応年間の長州征伐に軍夫(ぐんぷ)差し出しの折に、池田組の役人として一番くじを引き、軍夫引率の用意をし、入用金を22両、松本藩へ出しました。その時々に献金したため、苗字帯刀を許されました。1870年(明治3)に庄屋が名主となり、名前も孫司と改めました。1883年(明治16)3月5日に亡くなりました。

略歴譜

1823年(文政6)0歳明科上押野に生れる。
  押野村の庄屋、及び鵜山村の越庄屋を勤める。
  私費を投じて堀川を堀り、高瀬川の瀬戻しをし、高瀬川の川除に尽す。
  五ヵ用水の改修工事や郡境論争にも尽力する。
1861年(文久1) 和宮様のご降嫁の時、夫食の炊き出し等の世話役を申し付けられ、格別に精を出して、殿様より褒美金を頂戴する。
元治・慶応年間 長州征伐に軍夫差し出しの折に、池田組の役人として一番くじを引き、軍夫引率の用意をし、入用金を22両、松本藩へ出す。
  その時々に献金したため、苗字帯刀を許される。
1870年(明治3) 庄屋が名主となり、名前も孫司と改める。
1883年(明治16)3月5日 亡くなる。

参考文献

明科町史明科町史編纂会/編安曇野市立図書館