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溝口 弘禅|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052147 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

溝口 弘禅
みぞぐち こうぜん

雲龍寺25世住職。方面(民生)委員等多くの要職を務め、社会福祉に貢献した。

生年月日 1883年(明治16)
没年月日 1945年(昭和20)9月18日
関連地域 明科(田沢)
職業・肩書 住職
活躍年 大正時代
ゆかりの分野 文化(宗教)

 

経歴

明科田沢の青木家に生れ、幼くして雲龍寺溝口石禅の弟子となりました。25世住職となって、先代石禅の遺志を継ぎ、檀徒を督励して、衰退していた伽藍(がらん)の整備に尽力し、寺門興隆の基礎を築きました。
1916年(大正5)から方面委員を約30年間務め、社会福祉に貢献したほか、郡方面委員長を始め、多くの要職を歴任しました。
趣味として囲碁と俳句に優れ、囲碁は村内でも屈指の強さとなりました。俳句は子羊と号し、宗匠の免許を与えられ、龍門寺境内に「笹鳴くや昼も淋しき山の里」の句碑があります。
1945年(昭和20)9月18日に、亡くなりました。

略歴譜

1883年(明治16) 0歳 明科田沢に生れる。
    幼くして雲龍寺溝口石禅の弟子となる。
    25世住職となり、先代石禅の遺志を継ぎ、檀徒を督励して、衰退していた伽藍の整備に尽力し、寺門興隆の基礎を築く。
1916年(大正5)   方面委員を約30年間務め、社会福祉に貢献する。
    郡方面委員長を始め、多くの要職を歴任する。
    趣味として囲碁と俳句に優れ、囲碁は村内でも屈指の強さとなる。
    俳句は子羊と号し、宗匠をの免許を与えられる。龍門寺境内に、「笹鳴くや昼も淋しき山の里」の句碑がある。
1945年(昭和20)9月18日   亡くなる。

参考文献

明科町史 明科町史編纂会/編 安曇野市立図書館

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