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高橋 保|安曇野ゆかりの先人たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

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高橋 保
たかはし たもつ

長野県下の電気関係事業のほとんどに関係し、その要職に就いて、業界の進展に尽力する。

生年月日1883年(明治16)
没年月日1972年(昭和47)
関連地域豊科(上川手)
職業・肩書社会実業家
活躍年大正時代
ゆかりの分野経済(産業)

 

経歴

豊科上川手に生れました。松本中学校(現深志高等学校)から京都の第三高等学校(現京都大学教養部)に進みました。在学当時からすでに電気事業、特に水力発電に着目して、京都帝国大学工学部電気科に入学し、電気事業の進展に尽しました。1909年(明治42)、同大学を卒業後、伊那電気鉄道株式会社に入社し、技師長となりました。1911年(明治44)に長野電灯株式会社に転じ、技師長となり、1919年(大正8)には同社の顧問、取締役となりました。その後も、長野県下の電気関係事業のほとんどに関係し、欧米各国の電気事業・肥料・人絹工業等を視察して業界の進展に貢献しました。1932年(昭和7)、長野県第4区から衆議院議員に当選して1期を務め、その後は事業に専念しました。1972年(昭和47)、89歳で亡くなりました。

略歴譜

1883年(明治16)0歳豊科上川手に生れる。
  松本中学校を卒業する。
  京都の第三高等学校に入学する。
  在学当時からすでに電気事業、特に水力発電に着目して、京都帝国大学工学部電気科に入学する。
  長野県下の水力発電可能な地域の踏査研究を行う。
1909年(明治42) 京都帝国大学工学部電気科を卒業後、伊那電気鉄道株式会社に入社する。技師長となる。
1911年(明治44) 長野電灯株式会社に転じ、技師長となる。
1919年(大正8) 長野電灯株式会社顧問、取締役となる。
  布引鉄道、梓川電力、千曲川電力の重役となる。
  東信電気株式会社の理事・専務取締役となる。
  昭和人絹株式会社のほか、日東肥料株式会社・高橋商事株式会社・安曇電気株式会社等数多くの会社の社長・取締役を勤める。
1932年(昭和7) 長野県第4区から衆議院議員に当選して1期を務め、その後は事業に専念する。
1972年(昭和47)89歳亡くなる。

参考文献

豊科町誌豊科町誌編纂会/編安曇野市立図書館