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高木 保吉|安曇野ゆかりの先人たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

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高木 保吉
たかぎ やすきち

書画に長じ、南宋画法を学び、後進の指導育成に努め、信濃書画協会を創設する。

生年月日1865年(慶応1)
没年月日1919年(大正8)2月18日
関連地域豊科(熊倉)
職業・肩書南宗画家
活躍年明治時代
ゆかりの分野文化(芸術)

 

経歴

豊科熊倉に生れました。
生来、書画に長じ、丸山素屋・関口老雲等に就いて南宗画法を学び、画号は「犀がい」または「杏関」といいました。その後、ひたすら後進の指導に努め、信濃書画協会を創設しました。
北越・奥羽・北海道を漫遊したほか、晩年は、妻を伴って、紀州・奈良・大阪地方を漫遊し、さらに画才を豊かにしました。脱俗超然の画風は、しだいに世に認められ、各地の博覧会・共進会・絵画協会において常に受賞しました。遺作は多く、大阪方面と松本地方及び郷里にあります。
1919年(大正8)に、54歳で病気のため亡くなりました。

略歴譜

1865年(慶応1)0歳豊科熊倉に生れる。画号は「犀がい」または「杏関」という。
  丸山素屋・関口老雲等に就いて南宗画法を学ぶ。
  信濃書画協会を創設する。
  北越・奥羽・北海道を漫遊する。
  晩年、妻を伴って、紀州・奈良・大阪地方を漫遊し、さらに画才を豊かにした。
1919年(大正8)2月18日54歳病気のため亡くなる。

参考文献

南安曇郡誌第三巻下南安曇郡誌改訂編纂会/編安曇野市立図書館
豊科町誌豊科町誌編纂会/編安曇野市立図書館