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黒岩 重義|安曇野ゆかりの先人たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

黒岩 重義の写真

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黒岩 重義
くろいわ しげよし

拾ヶ堰の梓川サイフォン完成に尽力した烏川村長。 

生年月日1877年(明治10)
没年月日1957年(昭和32)
関連地域堀金(下堀)
職業・肩書実業家
活躍年大正時代
ゆかりの分野経済(産業)

 

経歴

堀金下堀に生れました。1904年(明治37)、村会議員となって4期勤め、村有林基本財産増成のための国有林特売払下げと、その植林に尽力しました。1916年(大正5)、才幹と人格が買われて烏川村長となり、1926年(大正15)までの3期を勤めると共に、拾ヶ堰普通水利組合管理村長となりました。また、産業界にも進出し、村及び郡下の産業草創期に、唯一筋に郷土の産業振興のため意を注ぎ、今日に至る基礎をつくりあげました。1917年(大正6)、産業組合中央会長野支部南安曇郡部会長となり、続いて農業会長を1943年(昭和18)まで務めました。また、1919年(大正8)、烏川村信用販売購買組合を創設し会長となり、郡下の産業組合の健全な発展に貢献しました。1922年(大正11)には、難工事の梓川横断逆サイフォン式伏越工事を竣工させました。1928年(昭和3)に組合製糸共栄社豊科支社を始め、共栄社副社長兼豊科支社長となり、1946年(昭和21)には安曇蚕糸協同組合の創設に際して組合長に推され、郡内蚕繭処理の合理化と組合の発展に尽しました。

略歴譜

1877年(明治10)0歳堀金下堀に生れる。
1897年(明治30) 長野県尋常中学校(旧松本中学校の前身)を首席で卒業する。
1904年(明治37) 村会議員となって4期勤める。村有林基本財産増成のための国有林特売払下げと、その植林に尽力する。
1916年(大正5) 才幹と人格が買われて烏川村長となり、1926年(大正15)までの3期を勤める。拾ヶ堰普通水利組合管理村長となる。
  産業界にも進出し、村および郡下の産業草創期に、唯一筋に郷土の産業振興のため意を注ぎ、今日に至る基礎をつくりあげる。
1917年(大正6) 産業組合中央会長野支部南安曇郡部会長に就任し、郡の農業会長として1943年(昭和18)まで務め、健全な発展に貢献した。
1919年(大正8) 烏川村信用販売購買組合を創設し会長を勤め、郡下の産業組合運動に先鞭をつける。
  趣味は謡曲で、観世元正に勧進帳の免許状を伝授されたのを始め、10数曲の免許状を伝授される。自作の謡曲「穂高」は、秀逸な大作である。
1922年(大正11) 梓川横断逆サイフォン式伏越工事が竣工する。
1928年(昭和3) 組合製糸共栄社豊科支社を創始し、共栄社副社長兼豊科支社長となり、1943年(昭和18)まで勤める。
1946年(昭和21) 安曇蚕糸協同組合の創設に際して組合長に推され、郡内蚕繭処理の合理化と組合の発展に尽す。
1957年(昭和32)80歳亡くなる。

参考文献

南安曇郡誌第三巻下南安曇郡誌改訂編纂会/編安曇野市立図書館
堀金村誌堀金村誌編纂委員会・堀金村公民館/編安曇野市立図書館