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三村 惣平|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052169 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

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三村 惣平
みむら そうへい

県会議員に3期連続当選し、梓川左岸農業水利改良工事に献身的な努力を続ける。郡・県・国の蚕業組合の要職を歴任。

生年月日 1877年(明治10)
没年月日 1947年(昭和22)12月24日
関連地域 三郷(下長尾)
職業・肩書 自治功労者
活躍年 昭和時代
ゆかりの分野 経済(産業)

 

経歴

三郷下長尾に生れました。松本中学校(現深志高等学校)卒業後、1899年(明治32)、温明盛組合立高等小学校教員となりました。1927年(昭和2)から、郡内で初めて県会議員に3期連続で当選し、その間、「水の一滴は血の一滴と同じだ」という強い信念を持ち、梓川左岸農業水利改良工事のために献身的な努力を続けました。1933年(昭和8)、南安曇郡養蚕業組合長に選ばれ、1939年(昭和14)に再選、長野県養蚕業組合連合会評議員兼全国養蚕業組合連合会議員に当選し、11年間務めました。1939年(昭和14)に慰問使県代表として、在満日本軍・満州青少年義勇軍・満州開拓移民団・北支日本軍を慰問しました。このほかに、小倉官有林の開墾の推進にも力を注ぐとともに、大糸北線開通の運動にも奔走しました。1947年(昭和22)、亡くなりました。

略歴譜

1877年(明治10) 0歳 三郷下長尾に生れる。 
1899年(明治32)   松本中学校卒業後、温明盛組合立高等小学校教員となる。
1913年(大正2)   下長尾消防組頭(くみがしら)となる。
1919年(大正8)   温村選挙区から郡会議員に選ばれる。
1924年(大正13)   梓川左岸改良工事に着手し、水量の協定を行うとともに、新たに取入口に頭首口を造築して、常に一定量の水が流れるよう構築する。
1927年(昭和2) 50歳 郡定員1名の県会議員に当選する。
    長年にわたり梓川左岸農業水利改良工事のために献身的な努力を続ける。
1933年(昭和8)   南安曇郡養蚕業組合長に選ばれる。
1934年(昭和9)   梓川農業水利改良工事左岸六堰水利委員幹部から、邸内に大石燈籠(高さ5m)を寄贈される。
1935年(昭和10)   第1回粛正選挙で、県下の候補93名中、最高点で当選する。郡内で3期連続で当選したのはこれが初めてとなる。
1939年(昭和14)   長野県養蚕業組合連合会評議員兼全国養蚕業組合連合会議員に当選し、1943年(昭和18)まで務める。
1939年(昭和14)   慰問使県代表として、在満日本軍・満州青少年義勇軍・満州開拓移民団・北支日本軍を慰問する。
1942年(昭和17)   南安曇地方事務所参与を委嘱される。
    小倉官有林の開墾の推進に力を注ぎ、大糸北線開通の運動にも奔走する。
1947年(昭和22)12月24日   亡くなる。

参考文献

南安曇郡誌第三巻下 南安曇郡誌改訂編纂会/編 安曇野市立図書館
三郷村誌1 三郷村誌編纂会/編 安曇野市立図書館

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