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山下 龍静|安曇野ゆかりの先人たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

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山下 龍静
やました りゅうじょう

桔梗ヶ原高校校長、七貴中学校長を歴任。後に、宗林寺住職となり、寺門経営に専念する。また、明科で、教育委員・民生委員等の活動に尽力する。

生年月日1902年(明治35)2月10日
没年月日1968年(昭和43)2月3日
関連地域明科(光。長野市出身。)
職業・肩書住職・教育者
活躍年昭和時代
ゆかりの分野文化(宗教)

 

経歴

長野市川中島に生れました。小学生時代に宗林寺の養子となり、松本中学、大正大学を卒業しました。長野高女(現長野西高等学校)を始め県下各地の旧制中等学校の教員として奉職し、桔梗ヶ原高校(現塩尻志学館高等学校)校長、七貴中学校長を歴任しました。1946年(昭和21)に宗林寺住職となり、寺門経営に専念し、その間、浄土宗宗会議員2期、浄土宗宗務庁総務局長に就任して宗政を担当しました。明科では、教育委員・保護司・民生委員を務めました。1961年(昭和36)8月、落雷により本堂が焼失してしまうと、再建に心を砕き、翌1962年(昭和37)に松本市の生安寺の本堂を譲り受けて移転し建てました。その後は、内外の環境整備に尽力し、1968年(昭和43)2月3日に、病気のため亡くなりました。

略歴譜

1902年(明治35)2月10日0歳長野市川中島に生れる。
  小学生時代に宗林寺の養子となり、松本中学(現深志高等学校)、大正大学を卒業する。
  長野高女を始め県下各地の旧制中等学校の教員として奉職する。
  桔梗ヶ原高校校長、七貴中学校長を歴任する。
1946年(昭和21) 宗林寺住職となり、寺門経営に専念する。
  その間、浄土宗宗会議員2期、浄土宗宗務庁総務局長に就任して宗政を担当する。
  明科では、教育委員・保護司・民生委員を務める。
1961年(昭和36)8月59歳落雷により本堂が焼失する。
1962年(昭和37) 再建に心を砕き、松本市の生安寺の本堂を譲り受けて移転し建てる。
  内外の環境整備に尽力する。
1968年(昭和43)2月3日65歳病気のため亡くなる。
  法名は、真蓮社瑛譽上人観阿察音龍静大和尚。

参考文献

明科町史明科町史編纂会/編安曇野市立図書館
長野西高等学校公式ホームページ