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山崎 義男|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052241 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

山崎 義男
やまざき よしお

医学博士。順天堂病院、満鉄病院婦人科医長を勤め、松本で山崎産婦人科病院を開業する。書道も大家で、荻泉(てきせん)と号した。

生年月日 1888年(明治21)6月10日
没年月日 1960年(昭和35)2月27日
関連地域 明科(荻原)
職業・肩書 医学博士
活躍年 昭和時代
ゆかりの分野 社会(医療厚生)

 

経歴

明科荻原に生れました。松本中学校(現深志高等学校)から千葉医専(現千葉大学)に進み、卒業後、医学博士となりました。順天堂病院、満鉄病院婦人科医長を勤め、ドイツに留学しました。1926年(大正15)に帰国して、松本市蟻ケ崎で山崎産婦人科病院を開業しました。書道も大家で、荻泉(てきせん)と号しました。短歌も作り、松本城の瓦に書いて納めました。1960年(昭和35)2月27日に、亡くなりました。

略歴譜

1888年(明治21)6月10日 0歳 明科荻原に生れる。
    松本中学校から千葉医専に進む。
    医学博士となる。
    順天堂病院、満鉄病院婦人科医長を勤める。
    ドイツに留学する。
1926年(大正15)   帰国し、松本市蟻ケ崎で山崎産婦人科病院を開業する。
    書道も大家で、荻泉(てきせん)と号する。
    短歌を作り、松本城の瓦に書いて納める。
1960年(昭和35)2月27日 71歳 亡くなる。

参考文献

明科町史 明科町史編纂会/編 安曇野市立図書館

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