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狩野 洞索|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052180 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

狩野 洞索
かのう どうさく

狩野派の画家。京都に出て、狩野洞寿に入門して後、農民画家として屏風や襖絵を残す。

生年月日 1764年(宝暦・明和)頃
没年月日 1844年(天保・弘化)頃
関連地域 穂高(矢原)
職業・肩書 日本画家
活躍年 江戸時代以前
ゆかりの分野 文化(芸術)

 

経歴

穂高矢原に生れました。
初め、狩野梅二(平林梅二)に手ほどきを受け、その後、京都に出て狩野洞寿に入門したといわれます。
帰郷後、農民画家として暮らし、屏風や襖絵を残しました。洞索は、矢原の荻原姓で、碌山の祖先に当ります。
1844年(天保・弘化)頃に亡くなりました。

略歴譜

1764年(宝暦・明和)頃 0歳 穂高矢原に生れる。姓を荻原といい、荻原碌山の祖先に当る。
    狩野梅二(平林梅二)に手ほどきを受ける。
    京都に出て、狩野洞寿に入門する。
    帰郷後、農民画家として暮らし、屏風や襖絵を残す。
1844年(天保・弘化)頃   亡くなる。

参考文献

穂高町誌 穂高町誌編纂委員会/編 安曇野市立図書館
安曇野の美術 丸山楽雲/編 安曇野市立図書館

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