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狩野 梅二|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052182 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

狩野 梅二の写真

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狩野 梅二
かのう ばいじ

狩野派の画家。特に人物山水画に秀でた。

生年月日 1704年(宝永1)
没年月日 1789年(寛正1)
関連地域 穂高(有明)
職業・肩書 日本画家
活躍年 江戸時代以前
ゆかりの分野 文化(芸術)

 

経歴

穂高有明に生れました。1730年頃(享保年間)に江戸へ出て、狩野梅栄に学びました。平林梅二は、「狩野」の姓と、通り名の「梅」を許可された、梅栄門下の俊秀だったといわれています。「幽仙斎」という号を賜り、また「有明里人」「有明斎」とも称し、特に人物・山水画に秀でました。画風は雄大で、唐画の影響を持ちながら、梅二独特の骨力(筆の力強さ)ある表現となっています。1789年(寛正1)に亡くなりました。

略歴譜

1704年(宝永1) 0歳 穂高有明に生れる。
1730年頃(享保年間)   江戸に出て狩野梅栄に学ぶ。
    狩野派の画家として活躍する。
1789年(寛正1)   亡くなる。

参考文献

南安曇郡誌第三巻下 南安曇郡誌改訂編纂会/編 安曇野市立図書館
穂高町誌 穂高町誌編纂委員会/編 安曇野市立図書館
安曇野の美術 丸山楽雲/編 安曇野市立図書館
1993穂高町出身の芸術家総合遺作展 総合遺作展実行委員会/編  

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