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小穴 憲吾|安曇野ゆかりの先人たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

小穴 憲吾の写真

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小穴 憲吾
おあな けんご

学校長・郡視学を歴任し、実に55年間、教育一筋の生涯を送る。

生年月日1869年(明治2)
没年月日1949年(昭和24)10月5日
関連地域豊科(踏入)
職業・肩書教育功労者
活躍年明治時代
ゆかりの分野文化(教育)

 

経歴

豊科踏入に生れました。生家は代々寺子屋の師匠で、父真平は安曇平の能書家として名高く、憲吾もまた能筆で、いまだに広くその書が遺っています。
少年時代から学問に頭角を現し、小学校から師範学校まで首席で卒業しました。1892年(明治25)、豊科村ほか四か村組合高等小学校に奉職しました。1896年(明治29)に穂高尋常小学校長となり、穂高高等小学校長・南安曇郡視学・更科郡視学を歴任しました。1908年(明治41)には、豊科村ほか四か村組合高等小学校長に就任しました。翌年、朝鮮黄海道の安岳学校長となり、終戦まで勤めました。1892年(明治25)から実に55年間、教育一筋の生涯でした。1949年(昭和24)、80歳で亡くなりました。

略歴譜

1869年(明治2)0歳豊科踏入に生れる。生家は代々寺子屋の師匠で、父真平は安曇平の能書家として名高く、憲吾も能筆家であった。てい庵と号する。
  小学校から師範学校卒業まで首席で卒業する。
1892年(明治25) 豊科村ほか四か村組合高等小学校に奉職する。
1896年(明治29) 穂高尋常小学校長となる。
1899年(明治32) 穂高高等小学校長となる。
1902年(明治35) 南安曇郡視学となる。
1906年(明治39) 更科郡視学となる。
1908年(明治41) 豊科村ほか四か村組合高等小学校長となる。
1909年(明治42)から1945年(昭和20) 朝鮮黄海道の安岳学校長となる。
1945年(昭和20) 終戦と共に朝鮮の任地を引揚げ、郷里踏入にて余生を送る。
1949年(昭和24)10月5日80歳亡くなる。

参考文献

南安曇郡誌第三巻下南安曇郡誌改訂編纂会/編安曇野市立図書館