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小穴 寿枝|安曇野ゆかりの先人たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

小穴 寿枝の写真

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小穴 寿枝
おあな としえ

「潮音」の中で、太田水穂と同格になった女流歌人。太田水穂の弟子。

生年月日1895年(明治28)
没年月日1944年(昭和19)1月26日
関連地域豊科(踏入)
職業・肩書女流歌人。「潮音」に所属。  
活躍年大正時代
ゆかりの分野文化(文芸)

 

経歴

豊科踏入に生れました。父親の弥三郎は、蚕種製造業で成功し、「中村屋」の屋号を持ち、1916年(大正5)には村会議員にも名を連ねました。その父親のもとで、何不自由なく育ちましたが、16歳の時に結核に冒され、入退院を繰り返す中で短歌を始めるようになりました。1920年(大正9)、松本で太田水穂を招いて「潮音」の歌会が開かれた際、長患いをした直後にもかかわらず、女性として一人出席、水穂から「はるばるよく来た」とねぎらいの言葉をかけられたことが、短歌への思いを強くしたようです。「潮音」に寿枝の歌が載るようになったのは1923年(大正12)からで、病と闘いながら、創作活動を行い、「信濃歌集名鑑」に南安曇郡の三歌人のうちの一人として掲載されました。歌集「念願」を出版しました。1943年(昭和18)に「潮音」の中で、太田水穂と同格になりました。

略歴譜

1895年(明治28)0歳豊科踏入に生れる。
 16歳結核に冒され、以降病いと闘う。
1920年(大正9) 松本で「潮音」の歌会が開かれ、太田水穂を招いた際、出席する。
1923年(大正12) 「潮音」に寿枝の歌が載るようになる。
1931年(昭和6) 父親が亡くなる。
1943年(昭和18) 「潮音」の中で、太田水穂と同格になる。
1944年(昭和19)1月26日49歳亡くなる。

参考文献

ラヴィオンローズ中島美澄子/著安曇野市立図書館