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小穴 文龍|安曇野ゆかりの先人たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

小穴 文龍の写真

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小穴 文龍
おあな ぶんりゅう

漢方医学の名医。

生年月日1822年(文政5)
没年月日1893年(明治26)
関連地域豊科(踏入)
職業・肩書医師
活躍年明治時代
ゆかりの分野社会(医療厚生)

 

経歴

豊科踏入に生れました。漢方医学を、松本伊勢町の松本藩典医堀内桂卓と京都の福井丹波に学んだ後、帰郷して開業しました。博学で書を能くし、慈善心が篤く、徳望が高く、門弟が各地に多数あり、教化が広く及びました。患者には極めて親切で、診定の適中と治療の正確さは南安曇地方随一の讃称がありました。患者の信頼が年々増し、遠近から日に70から80人の患者が訪れるようになりました。敬神の念が極めて強く、「治心療病の真諦は神仏の御加護に帰依することにある」とし、投薬に患者の名前を称えて、薬力感応当病平癒を祈願しました。その後、郡医制になって、郡医となり、医術の発達に尽しました。1893年(明治26)に亡くなりました。

略歴譜

1822年(文政5)0歳豊科踏入に生れる。
  漢方医学を、松本伊勢町の松本藩典医堀内桂卓と京都の名望医家福井丹波国手の門に入って福井丹波に学ぶ。
  福井丹波に学んだ後、帰郷して開業する。
  患者の信頼が年々増し、遠近から日に70から80人の患者が訪れるようになる。
  郡医制により、郡医を拝命し、医術の発達に尽す。
1893年(明治26)71歳亡くなる。

参考文献

南安曇郡誌第三巻下南安曇郡誌改訂編纂会/編安曇野市立図書館
豊科町誌豊科町誌編纂会/編安曇野市立図書館