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小山 潤一郎|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052188 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

小山 潤一郎
こやま じゅんいちろう

明科大丁の主人、商工会に貢献。冬期、補習科生を指導。顧問をした「川手時報」や「川手公民」に何回も寄稿。文化人を明科に迎えることに努める。 

生年月日 1894年(明治27)6月22日
没年月日 1958年(昭和33)4月25日
関連地域 明科(中川手)
職業・肩書 文化功労者
活躍年 昭和時代
ゆかりの分野 文化(文芸)

 

経歴

明科中川手に生れました。明治大学法学部を卒業し、帰郷して家業の商業を継ぎ、明科商工会に貢献しました。大正末期に、冬期間は、中川手小学校で補習科生を教えました。文筆に優れ、1933年(昭和8)に、中川手青年会で発刊した川手時報の顧問として、また1949年(昭和24)に発刊した川手公民に、何回も郷土史等を寄稿しました。短歌も山河や山火の会員として、好日庵主人というペンネームで投稿しました。文化人との交流も親密で、田中詮医師・中村善策画伯・岡麓等を明科へ迎える努力をして、明科の文化面に大きな功績を残しました。1958年(昭和33)4月25日に、亡くなりました。

略歴譜

1894年(明治27)6月22日 0歳 明科中川手に生れる。
    松本中学校(現深志高等学校)を卒業する。
    明治大学法学部を卒業する。
    帰郷して家業の商業を継ぎ、明科商工会に貢献する。
大正末期   冬期間は、中川手小学校で補習科生を教える。
1933年(昭和8)   文筆に優れ、中川手青年会で発刊した川手時報の顧問として、郷土史等を寄稿する。
1949年(昭和24)   川手公民が発刊し、何回も郷土史等を寄稿する。
    短歌も山河や山火の会員として、好日庵主人というペンネームで投稿する。
    文化人との交流も親密で、田中詮医師・中村善策画伯・岡麓等を明科へ迎える努力をして、明科の文化面に大きな功績を残す。
1958年(昭和33)4月25日 63歳 亡くなる。

参考文献

明科町史 明科町史編纂会/編 安曇野市立図書館

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