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小室 孝雄|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052189 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

 

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小室 孝雄
こむろ たかお

画家。岡田三郎助に師事し、日本洋画壇で活躍。印象派的写実主義。

生年月日 1892年(明治25)
没年月日 1955年(昭和30)9月29日
関連地域 穂高(上原)
職業・肩書 画家
活躍年 大正時代
ゆかりの分野 文化(芸術)

 

経歴

穂高上原に生れました。1914年(大正3)、岡田三郎助に師事して本郷洋画研究所に通い、油絵の研究に精進しました。1917年(大正6)に、第9回文部省美術展覧会に初入選し、その才器が認められました。東京の杉並区に居を構えて制作し、画風は印象派的写実主義で、その技巧は非常に優れていました。片倉氏の後援紹介によって、朝鮮・満州・北支に画行脚を送り、信濃毎日新聞重役西沢氏の推薦を受けて信毎紙上に挿画を描き、また農学校時代の恩師、後の陸軍主計中将西原氏の推薦により、従軍画家として北支・中支・南支に写実の絵筆を握りました。池上秀畝・中村不折・丸山晩霞等の諸先輩と協力し奔走して、信濃美術会を創立したほか、各美術団体の委員を務め、郷土と日本洋画壇に幾多の功績を残しました。

略歴譜

1892年(明治25) 0歳 穂高上原に生れる。
1914年(大正3) 22歳 岡田三郎助に師事して本郷洋画研究所に通い、油絵の研究に精進する。
1917年(大正6)   第9回文部省美術展覧会に初入選し、その才器が認められる。
    東京杉並区西荻窪に住み、画家の生活をする。
    片倉氏の後援紹介によって、朝鮮・満州・北支に画行脚を送る。
    信濃毎日新聞重役西沢氏の引き立てによって、信毎紙上に挿画を描く。
    恩師で、後の陸軍主計中将西原氏の推薦により、従軍画家として北支・中支・南支に写実の絵筆を揮(ふる)う。
    春台美術会・新日本美術連盟・緑巷会等の美術団体に関係して、日本洋画壇に活躍する。
    池上秀畝・中村不折・丸山晩霞等の諸先輩と協力し奔走して、信濃美術会を創立する。
    画風は印象派的写実主義で、技巧は非常に優れる。
    各美術団体の委員として重きをなし、郷土並びに日本洋画壇に幾多の功績を残す。
1955年(昭和30)9月29日 63歳 病気のため亡くなる。

参考文献

南安曇郡誌第三巻下 南安曇郡誌改訂編纂会/編 安曇野市立図書館
穂高町誌 穂高町誌編纂委員会/編 安曇野市立図書館
安曇野の美術 丸山楽雲/編 安曇野市立図書館
1993穂高町出身の芸術家総合遺作展 総合遺作展実行委員会/編  

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