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小松 鉄巖|安曇野ゆかりの先人たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

小松 鉄巖の写真

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小松 鉄巖
こまつ てつがん

廃寺となった真光寺の再建。

生年月日1833年(天保4)
没年月日1902年(明治35)
関連地域三郷(一日市場。下高井郡上木島村出身。)
職業・肩書住職
活躍年明治時代
ゆかりの分野文化(宗教)

 

経歴

下高井郡上木島村に生れました。幼少から学問が好きで、10歳の時、同郡の科野村谷厳寺に弟子入りし、仙瑞住職について修業しました。出身の下高井郡上木島村の東光寺の住職となった後、大本山総持寺で修業を行いました。1855年(安政2)、真々部の住吉山真光寺が全焼し、再建の資金を募りましたが明治維新となり、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により廃寺となりました。時の23世鉄嶽和尚は、これを機に、自分の土地・建物等を寄付し、三郷一日市場の善導寺跡に新寺として創立することを決意しました。鉄巖は、1882年(明治15)に真光寺住職となりました。真光寺の建設資金の調達に奔走し、本堂・山門・鐘楼の新築、禅堂の建立、庫裏の増築等寺の整備を行いました。檀徒への布教も熱心で、檀家数も増加し、今日の隆盛の基礎をつくりました。

略歴譜

1833年(天保4)0歳下高井郡上木島村の小松増右衛門の二男に生れる。
  幼少から学問が好きで、10歳の時、同郡の科野村谷厳寺に弟子入りし、仙瑞住職について修業し、剃髪得度する。
  出身の下高井郡上木島村の東光寺の住職となる。
  向学の志おさえ難く、大本山総持寺へ赴いて修業に励み、畔上管長からも大切にされる。
1855年(安政2) 真々部の住吉山真光寺が全焼し、23世鉄嶽和尚は、再建の資金を募るが明治維新となり、廃仏毀釈により廃寺となる。
  真鉄嶽和尚は、光寺再建の念やみがたく、私財を寄付し、三郷一日市場の善導寺跡に新寺として創立しようと決意する。
1882年(明治15)49歳大町の安達淳和尚の助言により、住職就任を懇請され、真光寺住職となる。
  真光寺の建設資金の調達に奔走し、本堂・山門・鐘楼の新築、禅堂の建立、庫裏の増築等寺の整備を行う。
  檀徒への布教も熱心で、檀家数も増加し、今日の隆盛の基礎をつくる。
1902年(明治35) 亡くなる。

参考文献

三郷村誌1三郷村誌編纂会/編安曇野市立図書館