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小松 脩|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052191 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

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小松 脩
こまつ しゅう

村長を太平洋戦争終結の年まで、5期にわたって勤め、村政や村の産業の発展に尽す。

生年月日 1883年(明治16)
没年月日 1953年(昭和28)
関連地域 三郷(中萱)
職業・肩書 自治功労者
活躍年 昭和時代
ゆかりの分野 経済(産業)

 

経歴

三郷中萱に生れました。中萱学校から長野中学校に学び、早稲田大学法学部に進学しました。1909年(明治42)、温明盛尋常高等小学校教師となりました。1917年(大正6)に村会議員に選ばれ、1921年(大正10)には村長となりました。太平洋戦争終結の年まで村長を5期勤め、南校舎の増築、運動場の拡張、消防組の改組と新しい機具の導入をしたほか、温明小学校の焼失した校舎の復興、村の中央道の改修、及木の庄野堰の河川工事、農繁期の託児所の開設をしました。忠魂殿の建設、食糧増産、疎開児童の受け入れ、青年学校の開校等戦事体制への対応を行いました。また、国民保険組合の設立、北校舎の増築、国民皆泳を目指してのプールの建設、役場庁舎の移転に伴う農協の一日市場駅前への移転も行いました。このほかに、警防団長・郡町村会副会長・豊科繭糸会社社長・信州銀行監査役等の要職を兼務しました。

略歴譜

1883年(明治16) 0歳 三郷中萱に生れる。
    中萱学校を卒業して、長野中学校に学び、法律家を志して、早稲田大学法学部に進学する。
1909年(明治42)   温明盛尋常高等小学校教師となる。
1912年(大正1)   高家小学校に招かれ、数年間勤務する。
1917年(大正6)   村会議員に選ばれる。
1920年(大正9)   学校組合議員に当選し、明盛村軍人分会長も兼務する。
1921年(大正10)   村長となり、南校舎の増築、運動場の拡張、消防組の改組と新しい機具の導入等に共に尽力する。
    産業組合長も兼ね、経済の面での村の振興にも努力する。
1924年(大正13)   村長に再選される。温明小学校の焼失した校舎の復興に全力を注ぐ。
1933年(昭和8)   村長に3選され、道路改修、河川工事、託児所の開設、忠魂殿の建設、青年学校の開校等戦事体制に対応する。
1937年(昭和12)   村長に4選され、7月に日華事変が起ると国防上から消防団を警防団に切換え、また食糧増産に挺進(ていしん)する。
    村長に5選、国民保険組合設立、校舎増築、国民皆泳のためのプール建設、農協移転等産業組合長も兼務する。
    警防団長・郡町村会副会長・豊科繭糸会社社長・信州銀行監査役等の要職を兼務する。
1953年(昭和28)   亡くなる。

参考文献

三郷村誌1 三郷村誌編纂会/編 安曇野市立図書館

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