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小平 吉男|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052193 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

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小平 吉男
こだいら よしお

理学博士。東京帝国大学理学部教授・東京管区気象台長・気象研究所長等を歴任し、日本の気象学の発展に貢献した。

生年月日 1903年(明治36)
没年月日 1980年(昭和55)
関連地域 堀金(中堀)
職業・肩書 理学博士・気象学の研究者
活躍年 昭和時代
ゆかりの分野 文化(学術・思想)

 

経歴

堀金中堀に生れました。旧制松本高等学校(現信州大学文理学部)2年在学中に、東京帝国大学(現東京大学)に合格し、理学部物理学科に特待生として籍を置き、地球物理学を専攻し、藤原咲平(中央気象台長)・寺田寅彦(物理学者、随筆家)等に師事しました。1925年(大正14)3月、東京帝国大学を卒業し、同年4月に東京中央気象台に技手として奉職し、翌年技師となりました。1934年(昭和9)に、ヨーロッパ各国に派遣され、気象学の研究と施設の視察に専念しました。同年12月、理学博士の学位を得て、東京帝国大学理学部教授となり、中央気象台臨時松本出張所長を兼任しました。1946年(昭和21)4月には、大阪管区気象台長となり、同年10月、東京管区気象台長・気象研究所長を歴任し、原子力委員としても活躍しました。1980年(昭和55)、77歳で亡くなりました。

略歴譜

1903年(明治36) 0歳 堀金中堀に生れる。
    松本中学(現深志高等学校)在学中に、旧制松本高等学校に進学する。
    旧制松本高等学校2年在学中に、東京帝国大学に合格し、理学部物理学科に特待生として籍を置き、地球物理学を専攻する。
    藤原咲平(中央気象台長)・寺田寅彦(物理学者、随筆家)等に師事する。同期に和達清夫博士(気象庁長官)も在籍する。
1925年(大正14)3月   東京帝国大学を卒業する。
1925年(大正14)4月   東京中央気象台に技手として奉職し、翌年には技師となる。
1934年(昭和9)   ヨーロッパ各国に派遣され、気象学の研究と施設の視察に専念する。その頃、寺田寅彦との文通が多くなされる。
1934年(昭和9)12月   理学博士の学位を得て、東京帝国大学理学部教授となり、中央気象台臨時松本出張所長を兼任する。
    東京物理学校(現東京理科大学)・日本女子大学等の講師も勤める。
1946年(昭和21)4月   大阪管区気象台長となる。同年10月、東京管区気象台長・気象研究所長を歴任する。原子力委員としても活躍する。
1973年(昭和48)   勲二等瑞宝章を受章する。
1980年(昭和55) 77歳 主治医武見太郎博士(医師会長)の医療を受けて、77歳で亡くなる。

参考文献

堀金村誌 堀金村誌編纂委員会・堀金村公民館/編 安曇野市立図書館

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