ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

小林 玄秀|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052196 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

小林 玄秀
こばやし げんしゅう

明科で医院を開業する。何度も流出した信犀橋を私財を投じて架ける。小林茂樹の父。

生年月日 1843年(天保14)7月1日
没年月日 1903年(明治36)12月31日
関連地域 明科(下押野)
職業・肩書 医師
活躍年 明治時代
ゆかりの分野 社会(医療厚生)

 

経歴

明科下押野に生れ、小林家の養子となりました。小林茂樹の父に当ります。1861年(文久1)に、明科木戸に医院を開業しました。
1877年(明治10)には、隠岐正三等と共に、木戸・荻原間へ信犀橋を架けました。1880年(明治13)に、洪水で信犀橋が流失し、再度架けましたが、1893年(明治26)にも洪水で流失し、私財を投じて3代目の信犀橋を架けました。
1903年(明治36)12月31日に亡くなりました。

略歴譜

1843年(天保14)7月1日 0歳 明科下押野に生れる。
1861年(文久1)   明科木戸に医院を開業する。
1877年(明治10)   隠岐正三等と共に、木戸・荻原間へ信犀橋を架ける。
1880年(明治13)   洪水で流失し、再度、信犀橋を架ける。
1893年(明治26)   洪水で流失し、私財を投じて3代目の信犀橋を架ける。
1903年(明治36)12月31日 60歳 亡くなる。

参考文献

明科町史 明科町史編纂会/編 安曇野市立図書館

皆さまのご意見を
お聞かせください

お求めの情報が充分掲載されてましたでしょうか?
ページの構成や内容、表現は分りやすかったでしょうか?
この情報をすぐに見つけられましたか?