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松岡 好一|安曇野ゆかりの先人たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

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松岡 好一
まつおか こういち

南方開発に尽力。求策の従弟で、求策の活動に協力。

生年月日1865年(慶応1)
没年月日1917年(大正6)
関連地域三郷(二木)
職業・肩書政治運動家
活躍年明治時代
ゆかりの分野経済(海外発展)

 

経歴

1865年(慶応1)、三郷二木に生れました。東京で松沢求策と会い、国会請願運動を展開しました。1883年(明治16)に小笠原島に渡り、小学校の教師となりました。日本の人口問題に苦慮し、南方移民方策をとりました。南洋航海後に、シドニーで在留邦人の相談相手をして領事館の必要を感じ、政府に設置要請をするために帰朝し、領事館はタウンスビルに設置されました。木曜島で日本居留民団長となり、香港で宮崎滔天(みやざきとうてん)・平山周等と中国問題を討議し、旅館「日本館」を経営し日中親善に努めました。台湾では総督の依嘱を受け、機密通信事業に従事して政治活動を行いました。1916年(大正5)、日刊新聞「南国報」を発行するため、一時帰国しましたが、翌年の1917年(大正6)、神戸にて病気のため亡くなりました。

略歴譜

1865年(慶応1)0歳三郷二木に生れる。
  芝の温知学舎で漢学を学び、後に東洋自由新聞社の記者となる。
  松沢求策と会い、国会請願運動を展開する。
1883年(明治16) 小笠原島に渡り、小学校の教師となる。
  日本の人口問題に苦慮し、南方移民方策を立てる。
  南洋航海後、シドニーで在留邦人の相談相手をして領事館の必要を感じて政府に要請し、タウンスビルに設置される。
  木曜島に渡り、邦人の相談相手になっている中に、推されて日本居留民団長となる。
1897年(明治30) 香港に渡り、宮崎滔天(みやざきとうてん)・平山周等と中国問題を討議する。
  旅館「日本館」を経営して日中親善に専念する。南京にその功を讃えた碑が建つ。
  台湾総督の依嘱を受け、機密通信事業に従事して政治活動を行う。
1916年(大正5) 日刊新聞「南国報」を発行するため、一時帰国する。
1917年(大正6)52歳神戸にて病気のため亡くなる。

参考文献

南安曇郡誌第三巻下南安曇郡誌改訂編纂会/編安曇野市立図書館
三郷村誌1三郷村誌編纂会/編安曇野市立図書館