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上原 良司|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052204 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

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上原 良司
うえはら りょうじ

特攻隊員として出撃前夜に書き残した「所感」が、敗戦後のわが国民に自由主義の国づくりを訴えたメッセージとして高く評価されている。

生年月日 1922年(大正11)9月27日
没年月日 1945年(昭和20)5月11日
関連地域 穂高(耳塚。池田町出身。)
職業・肩書 「あゝ 祖国よ 恋人よ きけ わだつみのこえ」の「所感」が掲載される。
活躍年 昭和時代
ゆかりの分野 文化(文芸)

 

経歴

池田町中鵜鵜山に、医師をしている寅太郎の三男として生れました。それから九州小倉・台湾と父親の転勤に伴い転任し、耳塚に移り、文化的な雰囲気の中に育ちました。二人の兄に続いて、1935年(昭和10)に松本中学校(現深志高等学校)に入学し、1940年(昭和15)に卒業して、慶応義塾大学経済学部予科に入学、その後、本科経済学部に進みました。しかし、1943年(昭和18)学徒出陣により松本第50連隊(歩兵150連隊)に入隊し、学業の道は断たれました。1944年(昭和19)、熊谷陸軍飛行学校相模教育隊に入校後、舘林教育隊で飛行操縦訓練を始め、極限の生活を体験し、自由主義の正しさを確信しました。そして、1945年(昭和20)陸軍特別攻撃隊第56振武隊員として沖縄嘉手納湾上の米海軍機動部隊に突入し、22歳の若さで戦死しました。

略歴譜

1922年(大正11)9月27日 0歳 池田町中鵜鵜山で、医師の父寅太郎・母よ志江の三男として生れる。
    九州小倉・台湾と父親の転勤に伴い転任し、有明耳塚に移り、成長する。
1935年(昭和10)   松本中学校に入学する。
1940年(昭和15)   松本中学校を卒業する。
1941年(昭和16)   慶応義塾大学予科に入学する。
1943年(昭和18)   慶応義塾大学予科を繰上げ卒業し、同大学経済学部に進学する。
1943年(昭和18)12月1日 21歳 学徒出陣により、陸軍松本第50連隊(歩兵150連隊)へ入隊する。
1944年(昭和19)2月9日 21歳 熊谷陸軍飛行学校相模教育隊へ入校する。
1944年(昭和19)3月24日 21歳 舘林教育隊にて飛行操縦訓練をする。
1944年(昭和19)7月20日 21歳 熊谷陸軍飛行学校を卒業する。
1945年(昭和20)5月11日 22歳 陸軍特別攻撃隊第56振武隊員として、沖縄嘉手納湾上の米海軍機動部隊に突入し、戦死する。     

参考文献

新版「あゝ 祖国よ 恋人よ きけ わだつみのこえ 上原良司」 編者 中島博昭 安曇野市立図書館

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