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上条 癸|安曇野ゆかりの先人たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

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上条 癸
かみじょう みずのと

岡谷病院長を勤めた後、郷里に開業、信望を集めた。数多くの要職に就くとともに、光地区の明科町への分村合併に奔走。

生年月日1895年(明治28)1月11日
没年月日1974年(昭和49)5月22日
関連地域明科(中条)
職業・肩書自治功労者
活躍年昭和時代
ゆかりの分野社会(医療厚生)

 

経歴

明科中条に生れました。1920年(大正9)に新潟医専(現新潟大学医学部)を卒業し、岡谷病院を勤めた後、明科光で開業し、医師として信望を集めました。明科町教育委員・塩筑医師会会長・長野県交通安全協会理事・柔道中信支部長(6段)・上川手小・中学校校医・川手中学校校医・明科中学校校医等の要職に就き、人望があり、常に指導的立場に立ちました。特に、光地区の明科町への分村合併に当り、寝食を忘れ日夜奔走し、実現を果しました。また、明科で最も早く、昭和初年から自家用車に乗り、生涯にわたり絶対安全運転に徹しました。長年の学校医としての功績により、勲章を授けられました。1974年(昭和49)5月22日に、亡くなりました。

略歴譜

1895年(明治28)1月11日0歳明科中条に生れる。
1915年(大正4) 松本中学校(現深志高等学校)を卒業する。同級に桜井武平・高津作吉・百瀬二郎らがいた。
1920年(大正9) 新潟医専を卒業する。
1922年(大正11) 明科光で開業し、医師として信望を集める。
  新潟医専付属病院勤務、岡谷病院長に就任する。
  上川手村小学校PTA会長・同村教育委員・上川手小・中学校校医・川手中学校校医・明科中学校校医に就任する。
  明科町教育委員・塩筑医師会会長・長野県交通安全協会理事・柔道中信支部長(6段)等の要職に就く。
  松筑交通安全協会長・長野県社会保険審査委員も務め、沈着果断、人望があり、常に指導的立場に立つ。
  光地区の明科町への分村合併に当り、寝食を忘れ日夜奔走し、実現を果す。
  明科で最も早く、昭和初年から自家用車に乗り、生涯にわたり絶対安全運転に徹する。
  長年の学校医としての功績により、勲章を授けられる。
1974年(昭和49)5月22日79歳亡くなる。

参考文献

東筑摩郡・松本市・塩尻市誌別篇人名東筑摩郡・松本市・塩尻市/編安曇野市立図書館
明科町史明科町史編纂会/編安曇野市立図書館
新潟大学公式ホームページ