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水谷 甚二|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052210 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

水谷 甚二
みずたに じんじ

豊科酒造株式会社を創設する。手押式除草機の原型ともいうべき「除草用水谷式田草爪(つめ)」を作る等、世の中に役立つ発明に尽力する。

生年月日 1868年(明治1)
没年月日 1932年(昭和7)
関連地域 豊科(成相)
職業・肩書 発明家
活躍年 明治時代
ゆかりの分野 経済(産業)

 

経歴

豊科成相に生れました。成新学校(明治初期の学校)に入学、続いて豊科学校に学び、武居用拙・高橋白山等に教育を受けました。1885年(明治18)、上京して東京英語学校に学び、その後、東京専門学校(現早稲田大学)に入学して政治学を修めました。1892年(明治25)、卒業して故郷へ帰り、家業に従事しながら、青年に書を講義し、算数等を教えました。1901年(明治34)、自ら豊科酒造株式会社を創設し、数年の間経営に努めました。1909年(明治42)に病気を機に、発明によって世の中に役立つことを考えました。手押式除草機の原型ともいうべき「除草用水谷式田草爪」を農具共進会に出品し、国の特許を得て受賞しました。晩年は、和歌の詠進を怠らず、かなりな作品を残しました。1932年(昭和7)、亡くなりました。

略歴譜

1868年(明治1) 0歳 豊科成相に生れる。
明治初期   成新学校に入学、続いて豊科学校に学び、武居用拙・高橋白山等に教育を受ける。
1885年(明治18)   上京して東京英語学校に学ぶ。
    東京専門学校(現早稲田大学)に入学して政治学を修める。
1892年(明治25)   東京専門学校を卒業し、故郷へ帰る。
    家業に従事しながら、青年に書を講義し、算数等を教える。
1901年(明治34)   自ら豊科酒造株式会社を創設し、数年の間経営に努める。
1909年(明治42)   病気のため、一切の世事をなげうち、専ら療養に努め、その中で発明によって世の中に役立つことを考える。
    手押式除草機の原型ともいうべき「除草用水谷式田草爪」を農具共進会に出品し、国の特許を得て受賞する。
    消毒器、うがい器、粥(かゆ)煮コンロ等を発明する。
    晩年は、和歌の詠進を怠らず、かなりな作品を残す。
1932年(昭和7)   亡くなる。

参考文献

豊科町誌 豊科町誌編纂会/編 安曇野市立図書館

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