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青木 真良|安曇野ゆかりの先人たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

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青木 真良
あおき まさよし

医業・寺子屋師匠。「博愛堂」と称し、門人200人余を数える。潮学校が開校し、訓導となる。

生年月日不詳
没年月日1884年(明治17)4月29日
関連地域明科(潮施行田)
職業・肩書医業・寺子屋師匠・訓導
活躍年江戸時代以前
ゆかりの分野文化(教育)

 

経歴

明科潮施行田に生れました。篤操と号しました。1850年(嘉永3)に、京都で漢学・医学を修め、1853年(嘉永6)に帰郷し、医業及び寺子屋師匠をし、博愛堂と称しました。人柄は温雅、よく衆を容れ、周孔の遺訓を講じ、王衛の筆法を授け、門人は200人余となりました。1873年(明治6)、潮学校の開校とともに、訓導(校長)となり、1880年(明治13)まで勤めました。1882年(明治15)5月には、門人一同で、長野県令大野誠の篆額(てんがく)、生野臨犀撰文で、自筆の寿蔵の碑を建てました。1884年(明治17)4月29日に亡くなりました。

略歴譜

生年不詳 明科潮施行田に生れる。諱(いみな)は真良で、篤操と号する。
1850年(嘉永3) 京都で漢学・医学を修める。
1853年(嘉永6) 帰郷し、医業及び寺子屋師匠をし、博愛堂と称する。
 人柄は温雅、よく衆を容れ、周孔の遺訓を講じ、王衛の筆法を授け、門人は200人余となる。
1873年(明治6) 潮学校の開校とともに、訓導(校長)となり、1880年(明治13)まで勤める。
1882年(明治15)5月 門人一同で、長野県令大野誠の篆額、生野臨犀撰文で、自筆の寿蔵の碑を建てる。
1884年(明治17)4月29日 亡くなる。

参考文献

明科町史明科町史編纂会/編安曇野市立図書館