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青柳 優|安曇野ゆかりの先人たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

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青柳 優
あおやぎ ゆたか

文芸評論家。文学雑誌「黒色戦線」等多くの雑誌を創刊し、反体制的な気構えをくずさず、新しい時代に応える正しい文芸理論を打ち立てることに尽力、活動する。

生年月日1904年(明治37)
没年月日1944年(昭和19)7月
関連地域堀金(上堀)
職業・肩書文芸評論家
活躍年昭和時代
ゆかりの分野社会(報道出版)

 

経歴

堀金上堀に生れました。早稲田大学英文科在学中から、アナーキズム文学雑誌「世紀文学」を創刊して、文芸評論に専念しました。後に、文芸雑誌「黒色戦線」を創刊し、丹沢明の匿名で、過激な詩や評論を載せました。1930年(昭和5)、同誌を廃刊し、「黒戦」・「アナーキズム文学」等を創刊しました。1933年(昭和8)、解放文化社の詩人たちと合同で、解放文化連盟を結成して、「文学通信」で詩についての評論をすると同時に、いくつかの詩を発表しました。1935年(昭和10)、第三次「早稲田文学」に発表しました。「同人雑誌作品評」で的確な批評が注目され、1937年(昭和12)に編集同人となりました。第二次世界大戦中、時代に迎合する文章が、文学者の手によって大量に書かれていた時、反体制的な気構えをくずさず、新しい時代に応える正しい文芸理論を打ち立てることに全力を尽しました。

略歴譜

1904年(明治37)0歳堀金上堀に、医師の三男として生れる。
  早稲田大学英文科在学中から、アナーキズム文学雑誌「世紀文学」を創刊して、文芸評論に専念する。
  文芸雑誌「黒色戦線」を創刊し、丹沢明の匿名で、過激な詩や評論を載せる。
1930年(昭和5) 「黒戦」を創刊し、精力的に文芸評論の発表を続ける。
1931年(昭和6) 京都帝大の青柳栄司教授の世話で、四条畷女子学校の英語教師となるが、2ヶ月ほどで辞め、千住税務署に勤務しながら文芸評論の道を歩み続ける。
1932年(昭和7) 「黒戦」を廃刊し、「アナーキズム文学」を創刊する。
1933年(昭和8) 解放文化社の詩人らと合同で、解放文化連盟を結成し、「文学通信」で詩についての評論を行い、幾つかの詩を発表する。
1934年(昭和9) 「稲門文学」を主宰し、第二次「早稲田文学」に文芸評論を執筆する。
1935年(昭和10) 第三次「早稲田文学」に「同人雑誌作品評」を発表する。
1937年(昭和12) 「同人雑誌作品評」を発表した的確な批評が注目され、編集同人となる。文芸評論をはなはだしく展開する。
1944年(昭和19)7月40歳病気のため亡くなる。

参考文献

堀金村誌堀金村誌編纂委員会・堀金村公民館/編安曇野市立図書館